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『坂の上の雲』

2010年が明けました。
NHKが二つの大河ドラマを放映しています。『龍馬伝』と『坂の上の雲』です。『Saving Private Ryan』に書いたように映画はその国のその時の大多数の国民の希望、考え方を表わすという一面があり、NHKの大河ドラマはそれ以上のものでしょう。『龍馬伝』には原作がないようですが、1968年にNHKは司馬遼太郎原作の『竜馬が行く』を放映しました。1968年は、ベトナム戦争の真っ只中、大学は封鎖され、東大安田講堂の占拠があり、10•21国際反戦デーには新宿駅周辺が学生らにより封鎖され一時的に解放区となりました。私のいた東工大は中核派の拠点校で彼らにより封鎖されていました。授業もなく、測量会社でバイトをし、新宿の風月堂で時間をつぶす毎日でした。民主党の菅直人氏は「全学改革推進会議」議長として、封鎖を解き学内を正常化しようとしていました。彼が、ハンドマイクを肩に掛けバリケードの上で演説をしたり、中核派に追われて、芝生のスロープをこけつまろびつしていたのを思い出します。「あの馬鹿、殺されるぞ」と言う声が聞こえましたが、私は、この先どうなるのか分からない時代の中で、たった一人で、自分の思想を持って過激派に扇動/洗脳された大衆に命がけで対峙する菅氏にすごい男がいると思いました。今の菅直人氏の原点がここにあると思っています。こんな時代に『竜馬が行く』が放映されたのです。

『坂の上の雲』と『龍馬伝』が放映される2010年はどんな年なのでしょうか。この二つの大河ドラマが黙示しているものは「変革」でしょう。しかも、政権が交代したから、変革などという単純なものではなく、民主党に抱いた期待が、はかなく消え、国民一人一人が立ち上がり、行動しなければ変革はこないということを国民一人一人が自覚し行動する年となるような予感があります。龍馬や、秋山兄弟にあるのはもともと日本人が持っていて今は失われてしまった「正々堂々」あるいは、「清々しさ」で、それを取戻したいという思いがあるのではないでしょうか。実際の歴史は、龍馬や秋山兄弟の望んだ「正々堂々」あるいは、「清々しさ」とは逆の道をたどり、日清、日露戦争の勝利以後日本は陰謀渦巻く軍国主義の道を走り、アジア各国に消え去ることのない戦渦を残しました。

最大の被害を受けた国はフィリピンでしょう。4年弱のフィリピン戦での日本人の死者数は50万人で、これは15年戦争と言われた中国本土での日本人の死者数を超えているのです。レイテ戦での日本軍の戦死率は97%でした。しかも、フィリピンと日本が戦争をしたわけでなく、日米が、フィリピンを戦場としたのです。フィリピン人の死者数は百万人でアメリカが5万人です。これだけの戦禍を受けながらフィリピン人は寛大でした。キリノ大統領は、日本軍に妻と5人の子のうち3人を殺されました。「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌った渡辺はま子は、まだ日本人への憎しみが強く残っていたフィリピンに渡り、キリノ大統領と面談し、キリノ大統領は日本兵を全員釈放し日本へ帰国させたのです。渡辺はま子さんもすごいと思いますが、キリノ大統領の心中を思うと、言葉を失ってしまうのです。その当時の軍事法廷は、米軍MPが数名の日本兵を一列に並ばせ、家族を殺されたフィリピン人がその中の一人を指差すとその兵士を死刑にする、指差し裁判といわれたものでした。そういう事情もあって、キリノ大統領は釈放を決定したと思われますが、日本軍兵士の中には、フィリピン人を虐殺した戦犯もいたはずですので、この決定はフィリピン国民の怒りをかうはずのものでしたが、キリノ大統領自身が日本軍に妻と子を殺されているので、大統領の決定は受け入れられました。大統領の心の中の葛藤はすざましいものであったでしょう。成田空港の入国管理官の皆様は、このことを念頭においてフィリピン人の皆様に尊敬の念を持って対応されたらいかがでしょうか。(『Saving Private Ryan』参照)

このような歴史の経過は、龍馬が生きていたら違ったものとなっていたに違いないという思いを誰もが持つのではないでしょうか。維新後の新政府の顔ぶれに自分の名前を入れず、世界の海援隊でもやるかと言っていた龍馬が生きていれば、日本は、官主体の富国強兵ではなく、民主体の、経済活動を基礎に外交で植民地主義を改めようとしたのではないでしょうか。「戦は何にも産まんけに、話し合いでいこうじゃないか」と土佐弁(土佐弁ご存知の方土佐弁でどういうのか教えてください)で言ったでしょう。貧農を移民として追い出し日本国籍を剥奪した棄民政策が始まったのもこのころです。法務省や外務省の官僚は、ブラジルの今の繁栄振りを見て、見ろ、棄民政策は正しい政策などと言うのですが、逆に日本国籍を認めていれば、ブラジルの繁栄が今の日本の不況を解決する一助になり。まさに共存共栄の、言ってみれば日本は大英帝国式の発展をしていたのかもしれません。

今の若い人たちは、海外に出ようとはしないと聞きました。われわれの時代は、1961年に小田実が「何でも見てやろう」を書き、五木寛之が1967年に「青年は荒野をめざす」を書き、学生運動の終焉もあって、多くの若者が海外を目指しました。若い人に言いたいのは、自殺は絶対にするな、何とか金を工面して、日本を出ろ、そして生きよと言うことです。
2010年。我々の国籍法12条撤廃に向けての戦いが幕を開けます。この法律は一種の罠で、人ごとではないのです。あなたの子供が、あるいは孫が被害者になるかもしれないのです。げんに我々被害者の会にお孫さんが国籍法12条で国籍を剥奪された人がいるのです。国籍法12条が撤廃されれば、日本が明るくなります。日本と世界がつながります。

どうぞ我々の運動に参加してください。

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