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高裁提出陳述書

弁護団から私の陳述書は既に高裁へ提出したとの連絡を受けました。実際に裁判長の前で陳述(既に提出済みの陳述書を読み上げる)は、10月30日午後2時に開廷される第2回控訴審で行われることになりそうです。意見陳述の日時が最終的に決まりましたらブログでお知らせします。大勢の方の傍聴があれば控訴審勝利が確実になります。私の意見陳述を傍聴してください。
国からの反論書面の提出期限は10月5日です。私の陳述に対しても反論があるはずで、国からの反論書面は国からの提出があり次第ブログに掲載します。
以下に、高裁へ提出した陳述書を載せました。皆様からのコメントがいただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。私の住所等個人情報関連は伏せ字にしました。
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年  月  日

東京高等裁判所民事第16部
裁 判 官 殿

(住所)XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

(氏名) 丸山峯男

陳  述  書

原告ダイチ・フェルナンド・ミサ・マルヤマの父として以下のことを陳述します:

1  地裁判決は原告ダイチの存在を無視した不当判決であること。
2 国籍法12条は理由なく国籍を間引く悪法であること。
3  ダイチの出生届の遅れは、在マニラ日本大使館の担当者の、「ダイチの出生届を他の4人の兄姉の認知届けと共に、日本へ帰国の際に、本籍地である新宿区に提出して欲しい」との指導によるもので、戸籍法の止むを得ない場合に該当すること。
4 国籍法17条による国籍の回復は法的には届け出制であるが、実際は法務省が法律にない条件を付与して、法務省が国籍の付与を審査決定する許認可制となっていること。
5 国籍法12条はその歴史的経緯から見て既に時代錯誤の無用な法律となっていること。

1.   地裁判決は原告ダイチの存在を無視した不当判決であること。

地裁判決は、「そもそも親が子の出生届出すらしようとせず、それゆえに国籍留保の意思表示をしない結果となることをもって、日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして取り扱うことは不合理ではない」と述べ、原告すべてが子の出生届け出をおこなわなかったかのような印象を与えているが、3.で陳述するように、ダイチの出生については、届け出の詳細について、在マニラ日本大使館で相談しています。判決を行った地裁裁判官は、当初の裁判官が途中交代したものであり、その間当初の第一陣に加え第2陣が加わったこともあり、訴状を、一体、読んでいただいているのかと疑問を持ったことは事実です。ダイチのケースは、 在マニラ日本国大使館の指示に従い、認知並びに出生届を同時に提出したにもかかわらず、認知の4人には国籍が付与され、嫡出子であるダイチにだけ国籍が付与されなかったというものです。この、法の執行がもたらした誰もが不合理と感じる矛盾についても地裁判決は具体的に触れることなく法(条文)の目的が違うのだから不合理と思われる結果も合理的であると意味不明の判決をしています。法律用語を羅列して白を黒と言い含めていると感じたのは事実です。控訴審では、ダイチのケースについて正しい評決を望みます。

2.   国籍法12条は理由なく国籍を間引く悪法であること。

嫡出子についてだけ国籍の留保期間を3ヶ月とし、留保の意思表示は出生届の提出で行い、1日でも提出が遅れれば、問答無用と国籍を剥奪する非人道的なメカニズムは、国籍法12条を読んでもわかりません。戸籍法第四十九条、 第百四条の3つを同時にあわせ読まない限りその内容が理解できないようになっています。この複雑な構造そのものが、国籍を剥奪することを目的とする国籍法12条の目的を完結する(一人でも多く,海外で生まれた子供の国籍を剥奪する)ために必要な罠であるといえるのではないでしょうか。わかりやすくすれば、子供の出生届が3ヶ月以内に提出されて法の目的である国籍の剥奪ができなくなってしまう訳ですから。その証拠の一つは、世界中の在外日本大使館/領事館内に、国籍法12条についての注意書きは一切ありません。我々原告団の一人である石山博美さんが、3ヶ月以内に出生届けを提出しなければならないことは、全く知らなかったというのも無理はありません。国が、知らしめないようにして、一人でも多くの日本国籍を剥奪しようとしている訳ですから。

ダイチの国籍が剥奪されてから、何度も在フィリピン日本大使館を訪れ国籍法12条について抗議しました。私の抗議を受けてか、平成18年5月12日に在留届を出していてメールアドレスのある在留日本人に対し“日本国籍の喪失等に関するお知らせ”が送られてきました。その中に、3ヶ月の提出期限について法律にない規定が述べられていました。引用します:
『提出期限は、出生日を起算日とし、3ヶ月後の応答日の前日が期限となります。例えば、4月1日に出生した子の出生届であれば、7月1日の前日である6月30日が提出期限であり7月1日では期限を過ぎていますのでお間違えのないようご留意願います。』
3ヶ月以内と言えば、常識的には、応答日までのはずですが、3ヶ月後の応答日の前日が期限というのは、まさに、国が、恣意的に罠を仕掛けてより多くの日本人の国籍を剥奪しようとしているとしか考えられません。 こうして、無数の罠が仕掛けられ、家族の国籍が、いや、家族そのものがバラバラにされています。

国籍法12条は、親の過失とも言えない過失に対し、何の落ち度もない子に人生が変わるほどの危害を加える非人道的な法律です。 日本国籍がないことの最大の問題は、子供にはわかりません。日本国籍のないことの最大の問題は、その子供の将来の可能性が大きく制約を受けることで、子供は、その日その日を精一杯生きているので、自分の将来がどのくらい制約をうけるのかは全く分かりません。それを知っているのは我々父親で、日本国籍をもたない子が、日本国籍を持って戸籍にも記載されている兄弟と全く違う人生を歩まなければいけないことを知っているために親の心痛は大きく、もし、子の日本国籍が回復できないときに親が受ける衝撃は激しく耐えられないほどのものです。
海外で暮らしていれば、兄弟の国籍が違ったとしても何の支障もないだろう、それがなんで子供の性格形成に影響するのかという声も聞こえてきますので、一例を挙げます。確かに海外に住んでいてその国から出入りしなければ、兄姉の国籍が違っても何の支障もないでしょう。兄姉5人のうち4人は日本のパスポート、 ダイチがフィリピンのパスポートを持って成田空港に到着すると、入国審査で大変な問題が生じます。成田空港は日本人パスポートと外国人パスポートの窓口を峻別しています。ダイチはまだ子供ですので、家族全員、当然日本人パスポートの列に並びますと、入国審査官はダイチはパスポートが違うから外国人の窓口で入国審査を受けろと言い、私は、ダイチは私の子で家族ですから、まだ子供ですし、ここで一緒に入国審査をしてもらえないかの押し問答となります。「規則は規則」の全く融通の利かない小役人は、嘘か本当か知りませんが、入国のスタンプが日本人と外国人とは異なっていて、ここには外国人用のスタンプがないと言い張り、結局、ダイチは、一人で外国人パスポートの列に並ばせられます。日本人用の入国審査は短く、ダイチ以外は入国し窓口の外でダイチを待ちます。30分以上たった一人で順番を待つ中でダイチはなぜ僕はこんな目にあうのかと涙をこらえています。ダイチの番がきても、子供ですから審査官の質問に答えられず立ち往生をしていますので、私が窓口に駆けつけて、審査官とやり合ったことが何回かありました。これが子供の性格形成に影響しないのか是非児童心理学者に聞いてください。ダイチは一度だけ、「僕は何も悪いことはしていないのに兄弟と同じパスポートじゃないのか?」と私に問いかけたことがあります。ダイチの性格は、他の兄姉に比べれば暗いものがあります。

このような不合理はただされるべきです。国籍法12条を廃止して現行規定である国籍法14条による、22歳での本人による国籍の選択を行えば、嫡出子、非嫡出子間の矛盾も解消され、重国籍の問題も解決できるのではないでしょうか。世界で重国籍を認めていない国でも、本人による国籍の確認をその子が成人になる前後(18から22歳)に行っています。本人に確認する事なく生後3ヶ月を越えると国籍を剥奪している国は日本以外にはないのではないでしょうか。

3.  ダイチの出生届の遅れは、在マニラ日本大使館の担当者の、「ダイチの出生届を他の4人の兄姉の認知届けと共に、日本へ帰国の際に、本籍地である新宿区に提出して欲しい」との指導によるもので、戸籍法の止むを得ない場合に該当すること。


ダイチには、4人の兄姉がいます。美奈(マリア・ジネア・ミナ)、岳彦(マーク・タケヒコ)、蔵人(ジャン・クロウド)、亜美子(アミコ・ジェーン)です。私は、日本人の子は日本人として日本国籍を貰えると信じておりましたので、 名前に戸籍に載せるさいの事を考えて、日本人らしい名前(大地)を名付けました。第5子(ダイチ)が妊娠し、私は、この子はおそらく最後の子となるであろうから、最後の子の出生前に戸籍を整理したいと思い、在マニラ日本大使館を訪れました。私が国籍について知っていたことは、両親のどちらかが日本人である子は日本国籍を持つということだけでした。

出生届が3ヶ月以内にできなかった経緯をいかに述べます:
(1) 私は、ダイチが生まれる直前の1997年10月頃、在マニラ日本大使館に行き、家族全員の戸籍への記載を相談しました。担当者はXXXXXさんでした。戸籍への記載のためには、婚姻届、4人の子は結婚前に生まれたので認知をする必要があるので認知届けが必要であり、各々の届け出には国家統計局が発行する結婚証明書、出生証明書(各英文)とそれぞれの日本語訳が必要と言われ、届け出用紙をいただきました。これらの証明書を貰うのは大変な作業でした。電子化されていないので、申請するのに1日がかり、受領は当日には行われず、発行できたという連絡もしてくれないために、何度も国家統計局へ通いました。4人の子の届出書と出生証明書の翻訳を完成する間、何回もXXさんに内容の確認をしてもらいました。ようやくすべての届け出が完成したところ、XXさんから「これらの届を大使館に提出すると外務省と法務省の両省を経由して時間がかかるので、もし、近々、日本へ帰国することがあるなら、本籍地である新宿区に届を提出して欲しい」との指導を受けました。当時、私は、アジア開発銀行に勤務しており、大蔵省と日本輸出入銀行から、同年12月に日本で開催されるセミナーの講師を要請されていましたので、XXさんの指導に従うことにし、「日本に出張する予定があるので、その際、新宿区に届を提出する。」と回答しました。この出張が事実であることは添付したアジア開発銀行内の出張依頼書(英文ならびに翻訳文)ならびに出張報告書(英文ならびに翻訳文)にある通りです(今回の裁判で として提出しています)。 


(2) また、XXさんに「出産予定の子についてはどうすればよいか。」と尋ねたところ、XXさんから「認知届のように出生届を作成して、出生証明書の翻訳したものを添付して、出張を利用して新宿区に提出して欲しい。」との回答があり、出生届の用紙を渡されました。XXさんから出張が出生後3か月経過後になったときにはどうしろという指示はなく、また、出生後3か月以内に国籍留保届をしなければ、日本国籍を喪失するとの説明はありませんでした。

何回も大使館で申請書類の吟味をしてもらっている中で、XXさんの身の上話に及び、その中で、XXさんは『今は出生届の提出が3ヶ月になったので良くなったのですが、昔は2週間でした。』と述べ、私は、提出期限が3ヶ月になったことは知りましたが、3ヶ月を1日でも過ぎれば子供の国籍が剥奪される国籍留保制度の説明はありませんでした。私は、認知ならびに出生届けの打ち合わせのために忙しい勤務時間を割いて3、4回の半日休暇を取っており、XXさんの『出張を利用して、認知ならびに出生届を日本で提出しなさい』との指示を聞いたときに、ほっとし、これで仕事に専念できると思いました。私はこうして3ヶ月の提出期限を知りましたが、日本国内に提出することがこの規定を打ち消しているものと思いました。というのは、出生届の提出期限は国内で出産した場合にもあるが、その規定通りに出生届を出している人は少ないし、もし遅れても何の罰則もない。さらにXXさんから出張が遅れたときに対する指示はいっさいなかったので、大使館の指示通りに日本で届ければよいとそう信じていました。

(3) 1997年11月6日、フィリピンにて、男児が生まれました。
私は、その男児を「ダイチ・フェルナンド・ミサ・マルヤマ」と名付けました。日本人親の子であるダイチは日本国籍を有する日本人であり、私は、戸籍には「大地」と表記するつもりでした。

(4) セミナーの日程が1998年2月23日から24日に変更となったため、私の日本への帰国は、同月17日となりました。それまでに、ダイチの出生届を新宿区役所に提出すべく、出生証明書の翻訳を作成しました。
当時、私は、アジア開発銀行に勤務し、コンサルタントから提出された技術提案書(1プロジェクトにつき4、5社から提出される)を評価し、順位を決める選定委員会の議長をつとめ、コンサルタントとの契約交渉を行い、契約書を作成し、銀行内の他の部局から提出されたコンサルタント雇用書類の内容を審査するなどという通常の業務に加え、日本出張に向けた資料作成に忙殺されていましたので、ダイチの出生後3か月がいつなのかにまで思いを馳せるゆとりはありませんでした。

(5) 私は、1998年2月17日、日本に帰国し、翌18日に、新宿区役所に行き、婚姻届、認知届4通とダイチの出生届を提出しようとしました。今回の裁判で甲18号証として提出したのがその時の出生届です。応対した同区役所の戸籍係担当者は、一旦席に戻り、30分ほど書類の吟味のために中座しました。そして、戸籍係担当者は、窓口に戻ってくると、私に、ダイチの出生届のみを返還し、ダイチについても認知届を記入して提出するように求めました。そこで、私は、その指示に従い、窓口でダイチの認知届を記入し、提出しました。

この出生届は、マニラの日本大使館でXXさんから渡された用紙に、帰国する前に記入して持参したものです。記入時には届出の日付を空欄にしていたのですが、新宿区役所で担当者が吟味したいというので届けをそのまま渡しました。その後、担当者の指示で出生届の代わりに認知届けが提出されました。提出されずに返還されたので、結局、日付も空欄のままとなりました。

また、この出生届用紙の「その他」の欄の中の、「日本国籍を留保する」という印刷の右の署名押印欄が空欄になっています。用紙をもらって家で記入していたときに、「何だろう」と思いましたが、XXさんからは何の説明もありませんでしたし、私は、日本国籍は自動的に国籍法2条により付与されるものと信じており、留保の意味は、自動的に日本国籍を貰える権利を留保(一時的に、例えば子供が成人するまで)する意味ではないのかと思っていたので、署名しませんでした。この出生届けは提出前の吟味後担当者から返還されたので「その他」の欄に書名はありません

(6) 私は、帰国の日の前日である1998年2月26日、新宿区役所四谷出張所で戸籍謄本をとりました。しかし、4人の兄姉の名前は戸籍に記載されていましたが、ダイチの名前は記載されていませんでした。
 驚いた私は、直ちに新宿区役所に戻り、窓口で尋ねました。すると、窓口の担当者は、ダイチについては、婚姻後の子であるため、認知届ではなく、出生届の提出が必要であると言いました。その際、私が2月18日に戸籍係の要求に応じて提出した認知届は返還されました(今回の裁判で甲19号証として提出しています)。
私は、窓口の担当者に、2月18日に出生届を窓口に提出したものの、応対した戸籍係の担当者は、出生届ではなく認知届が必要であると言って出生届を返却してきたことを説明して、「今すぐに出生届を提出させてください」とお願いしました。
しかし、窓口の担当者は、2月18日の時点ですでに3か月を過ぎているので、出生届の受理はできないと述べるばかりでした。納得がいかない私は、出生届の受理を要求し続けました。長時間のやり取りがなされた末、窓口の担当者は、理由書を付ければ、出生届は一応受理するが、国籍の決定は法務省の判断によると言いました。私は、新宿区役所の出生届の用紙に記入したダイチの出生届と、その場で書いた理由書を窓口に提出しました。

以上、私がダイチの出生届と同時に4人の非嫡出子の認知届を提出し、さらにその後4人の子の国籍取得届を行ったことから、嫡出子であるダイチについても当然に日本国籍を保持させる意思を有していたことは明らかです。

ダイチの国籍留保の届出は大使館の指示によって行われました。「責めに帰することができない事由」によって届出期間内に届出をすることができなかったのですので、国籍法が違憲とされない場合でも、戸籍法の規定から有効な国籍留保届がなされたとして、国籍の回復をしていただきたくお願いします。


4 国籍法17条による国籍の回復は法的には届け出制であるが、実際は法務省が法律にない条件を付与して、法務省が国籍の付与を審査決定する許認可制となっていること。


国籍法17条は、国籍法12条で日本国籍を失ったもので、20歳未満のものは、日本に住所を有すれば法務大臣に届出をすることで、日本国籍の取得ができるとしていますが、法務省は、これに法律にない要件をつけて国籍の回復がほぼ不可能としています、

地裁判決では、国籍法17条により国籍を回復しようと日本に住んでいた原告2人の国籍の回復を決定しました。この決定は、17条が届出制になっていることを根拠としていますが、届出制である国籍法17条を法務省がなんら法律にない要件を加え、結果、届出制であるべき国籍の再取得を、法務省が審査するという違法行為を行っている事実を認めた訳ではありません。地裁判決は、国籍法17条による国籍回復のために来日した原告について法律通りの適用(届け出ることで国籍が回復する)を認めただけで、法務省が勝手に法律をねじ曲げて国籍再取得を困難にしていることについて触れていません. 

法律に一切書かれていない法務省が作成した要件の一つが、 「日本に生活の本拠を有していること」が必要で、国籍を取得する目的での帰国は認めないです。どういう場合に、法務省が、日本に生活の本拠を有していると判断するかを記述したものはなく、すべてが、官僚の恣意により国籍の授与が行われています。その2は、「日本に6ヶ月以上継続して住まなければならない」です。また、最後に法務省の役人は、こう言います、「たとえ国籍取得の申請が受理されたとしても、全員が国籍の取得ができるというわけではなく、国籍が取得できなかった理由は開示しない」です。このため国籍法17条により国籍を回復しようと海外から帰国した内の1割未満がかろうじて国籍を回復できたに留まっています。これらの法務省による審査は、海外に生活の拠点を持つ我々にとっては、国籍再取得がほぼ不可能であることを意味するだけでなく、たとえ、法務省が上記3つの要件を排除したとしても、非嫡出子が、認知により国籍を取得する場合は日本に住むことなく、住所のある国の大使館に届出をすればよいことと比べ合わせれば、著しく不公平なものです。


5 国籍法12条はその歴史的経緯から見て既に時代錯誤の無用な法律となっていること。

地裁判決は 時代が大きく変化している現実を一顧もしない時代錯誤としか言いようがない判決でした。国籍法12条は、国内の余剰人口を海外へ移民として送り出す時代に、現地へ定着させるという体裁をとって国が行った非人道的な棄民政策をその端緒としています。時代が変わり、OECD加盟国のほとんどが重国籍を認め、2010年には韓国も国家競争力を強化する目的で重国籍を容認しました。日本の立国の基盤である「加工貿易」が、振興途上国に世界中の大企業が生産拠点を移す中で、終焉しましたが、国は、新たな立国の基盤をどこに置くかについてはTPPに参加するなどのグローバライゼーションが新たな立国の基盤になるという漠然とした予感をもっているだけでいまだ模索中であります。こうしたなか、日本人の若者の7割が海外に居住することを好まないといい、アメリカの大学で学ぶ日本人の留学生数が減少して2万4千人を割り込む一方、中国, 韓国の留学生数が、それぞれ10万人を超えています。 棄民政策を国是としている国で、若者が海外に行こうという気にはならないのは当然ともいえます。海外に雄飛して、日本のために働こうとしている若者を支援するどころか、その若者の子の国籍を剥奪するという国が開国などということができるのでしょうか。国が何ら国の形を提示できない中、加工貿易が終焉した日本の将来を21世紀政策研究所がシミュレーションをしました。最も楽観的なケースで2030年にGDPはインドの1/3になります。悲観的なケースでは2010年からGDPが減少し2030年のGDPは世界28位。完全に先進国から脱落します。日本の各企業は、自らの生存のため国際化を政府の予想を超えるスピードで行っています。雇用に関しても、国内の会議を英語で行う、外国人を直接日本で正社員として雇用するなどが、当たり前のように行われています。今年は、この傾向がさらに進み、日本人の雇用に影響を及ぼすのは必然で、もし現政権が、これに対し、日本人の雇用を増やすために企業に規制を課すれば、日本企業の海外移転は急速に進み、結局、日本人の雇用が増えることはないでしょう。日本が新たな立国をするためには海外にいる日本人の子弟に国籍法12条を廃止して国籍を与え、彼らのもつ現地語を話し、現地の政財界に将来的にコネクションを作る可能性を持つ貴重な人的資源として統合、活用することが絶対に必要であります。棄民して、貴重な人的資源を形骸化させたのは日本国政府で自らではないのでしょうか。世界が重国籍を認め、海外移民と一体となった国益追求を目指すのを見れば、日本がどれくらい世界から遅れを取っているのか知るべきではないでしょうか。この観点からも地裁判決は不当であり、変化する社会情勢に法律が合致しているかどうか、高裁の正しい判断を求めます。



以上

国籍確認訴訟の控訴審第1回期日

7月17日に、国籍確認訴訟の控訴審第1回期日がありました。事前に提出した控訴理由書の提出手続が行われました。
 
次回は、国側が反論書面を提出することになっていますが、準備に時間を要するとのことで、反論書面の提出期限は10月5日となりました。また、第2回期日はさらに双方・裁判所の日程調整が付かず、10月30日午後2時となりました。

 今回の控訴審では、控訴理由書にあるとおり、我が子ダイチの出生後3ヶ月を経過した後になされた出生届が「責めに帰することができない事由」によるものとして戸籍法104条3項により適法な届出となり、これによって控訴人ダイチが日本国籍を留保していたことを主張しています。第2回期日には意見陳述ができるかどうか、弁護団で検討をしています。

控訴理由書その4

控訴理由書その4は76ページから最終ページまでです。

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第7 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その3
−国外出生非嫡出子(準正子)との差別的取扱

 1 原判決の判示
(1) 原判決は、日本国外で出生した者のうち、出生後に日本国籍を有する父から認知を受けた非嫡出子は、(20歳という年齢制限の他には)出生後あるいは認知後の時間の長短を問わず、届出により日本国籍を取得するのに、日本国籍を有する親の嫡出子は、出生後3か月以内に国籍留保の意思表示をしなければ出生の時に遡って日本国籍を失うという区別が存在することについて、前者は国籍の伝来的取得の制度であり、後者は国籍の生来的取得の制度であって、それらが制度目的や趣旨を異にすることから、要件等に差異があるのは当然であると述べ、当該区別の合理性を肯定する(原判決17~18頁)。

(2) 原判決の論旨は、要するに「法12条と法3条1項は制度目的や趣旨が異なるのであるから、取扱に差異が生じるのは当然であり、差別的取扱が合理性を欠くことにはならない。」というものであり、いわば制度が異なれば差別的取扱をしても憲法14条1項違反の問題は生じない、とするものである。かかる判示に従うならば、およそ異なる制度間に生じる差別的取扱について憲法14条1項違反を論じることは、それ自体が失当ということになる。
 しかしながら、不平等の問題とは、社会内に事実として存在する差別的取扱について、これが憲法上許容しうるか、言い換えれば被差別者がこれを受忍しなければならないか、を法的に判断することである。原判決は、法12条と法3条1項の間にどのような不均衡が存在するか、という実情に全く目を向けることなく、しかも両制度の内容を対比しつつ吟味することすらせず、単純に「制度の違い」という形式的な議論で差別的取扱の合理性を根拠付けようとしている点で、そもそも失当である。

(3) なお、現行法3条1項は平成20年に改正されたものであるが、同改正前の、準正を要件としていた法3条1項は、法12条と同じく昭和59年改正時に創設されたものであるから、基本的には平成20年改正前の法3条1項と法12条とを対比することが合理的である。
 本項では、平成20年改正前の法3条1項を「改正前法3条1項」、同改正後の同条項を「現行法3条1項」と言い、両者を併せて表示する場合は単に「法3条1項」と言う。

 2 原判決の誤り−比較の対象の誤り
(1) 原判決は、法12条が「出生後3ヶ月以内の国籍留保の意思表示をしなければ出生の時にさかのぼって日本国籍を失う」としている点について、「出生による生来的な国籍の取得は、できる限り子の出生に近い時点で早期に確定されることが望ましいことから、届出に要する合理的期間との調和を図って3ヶ月という期間が定められた」とし、他方で法3条1項がかかる期間制限を設けていない点については、「父親が認知をする時期については、法律上の制限はされていないのであるから、子の出生から相当期間経過した後に子が父の認知を受けて日本国籍を取得することは制度上常態として起こり得ることであ」る、と判示する(原判決18頁)。
 しかしながら、原判決はそもそも比較の対象を誤っている。

(2) 法12条の対象者である国外出生重国籍児は、出生と同時に日本人親との親子関係が形成され、そのことが法2条1号による国籍取得の根拠となる。これとの対比で見るならば、改正前法3条1項の対象者が日本との結合関係を認められるのは、準正が成立し嫡出子たる身分を取得した時点である(現行法3条1項で言えば、日本人父の認知が成立した時点である)。したがって、法12条が3か月という期間制限を設けていることの不均衡を論じる際に比較すべき対象は、改正前法3条1項において出生後準正が成立するまでの期間に制限が設けられていないことではなく、準正が成立した後国籍取得届出をするまでの期間に制限が設けられていないこと(現行法3条1項においては、認知が成立した後国籍取得届出をするまでの期間に制限が設けられていないこと)である。
 一般人の常識的感覚からしても、法3条1項は準正または認知が成立してから(つまり届出ができるようになってから)20歳になるまでの間いつでも日本国籍を取得できるのに対して、法12条は出生後わずか3か月しか猶予がないことの不均衡が問題なのである。

(3) 具体的事例に則して見ると、控訴人ダイチの兄姉である丸山4兄弟は、前述の通り、その父丸山と母ジーナが1997年2月10日に婚姻し、丸山が1998年2月18日に彼らを認知したことにより、準正が成立し、その約6ヶ月経過後の同年8月14日に、改正前法3条1項の届出を行った結果、日本国籍を取得した(甲2)。これに対して控訴人ダイチは、1997年11月6日に出生し、その出生届の提出が出生後3か月を12日経過した1998年2月18日であったために、日本国籍を喪失した。この事実関係において、丸山4兄弟が準正の成立から約半年後の国籍取得届によって国籍を取得できたのに、控訴人ダイチがその出生から3か月の期間をわずか12日徒過しただけで日本国籍を喪失したことの不均衡が問われているのである。

3 原判決の誤り−制度の対比における誤り
 法12条と法3条1項の制度目的や趣旨の違いのみを理由に、両者において異なる取扱をすることが不合理ではないとする原判決が誤りであることは、既に述べたとおりである。異なる制度が異なる要件を定めることは当然としても、それによって類似の立場にある者の間に差別的な取扱が生じている場合に、「制度の目的や趣旨が異なる」との一言で差別的取扱を正当化する理由となり得ないのは言を俟たない。
 異なる制度であるが故に差別的取扱をすることに合理性があるか否かは、各制度の制度趣旨や要件の合理性を吟味した上で判断される必要がある。
 本件に則して言えば、法3条1項の立法趣旨及びそれとその要件との関連性を吟味した上で、同条項の対象者と法12条の対象者(国外出生重国籍児)の属性の共通点と相違点を比較し、国外で出生した日本国民の子について、法12条が法3条1項の対象者と比べて差別的に取り扱うことが、その立法目的と合理的関連性を有するか、が判断されなければならない。

 4 改正前法3条1項の制度の内容
 (1) 立法趣旨と射程範囲
 改正前法3条1項の立法趣旨について、最大判平成20年6月4日は、法2条1号が日本国籍の生来的取得について父母両系血統主義に立つことを判示した上で、「日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって、同法の基本的な原則である血統主義を補完する」ものである、と判示した。その意味するところは、以下の通りである。
 すなわち、日本国民である父と外国籍である母の嫡出子は、法2条1号によって当然に日本国籍を取得するのに対し、日本国民である父と外国籍である母の非嫡出子は、法2条1号によっては生来的に日本国籍を取得することができず、簡易帰化によってしか日本国籍を取得することができない。しかし子の出生後に両親が婚姻するということは往々にして生じる事態である上、両親の婚姻と子の出生の先後という偶然の事情により日本国籍の生来的な取得の可否に差異が生じ、あるいは日本国籍取得の要件に大きな差異が生じるのは著しく衡平を失するとして、昭和59年改正により法3条1項が創設されたものである。
 ここで改正前法3条1項が衡平を論ずべき対象としてあげているのは、日本人父と外国人母の嫡出子が出生により日本国籍を取得する、という場面である。他方、同条項が対象たる準正子の出生地の国内・国外を問わず適用されることには争いがない。したがって、改正前法3条1項は、国外出生の準正子についても、法2条1号による生来的な国籍取得との均衡を図って国籍取得を認めたのである。

 (2) 改正前法3条1項の対象者の属性
ア 改正前法3条1項の対象者の属性は、以下の通りである。
① まず、上述の通り、日本国内で出生したか日本国外で出生したかで区別されない。
② 次に、出生時に外国籍を取得し、外国との結合関係を有する一方で、日本との法的な繋がりは存在しない。
③ 出生地が母の母国であるか、あるいは生地主義国である場合には、出生地との地縁的結合も強い。
④ 国外出生子の場合、準正が成立するまで、言い換えれば日本との結び付きが形成されるまでに、出生後一定の期間を外国で生活しており、その国との結び付きはさらに強くなっている。
イ すなわち、日本国外で出生した、日本人父の非嫡出子は、出生時には日本人父とも、また日本人父を介して日本国とも繋がりを有しておらず、日本との地縁的結びつきもない。他方で、当該子は外国籍のみを有し、しかも母の母国あるいは生地主義国で出生した場合には国籍国との地縁的結合も有している。そしてその外国との繋がりは、その後一定期間の生活の実績を積むことによってさらに強くなっているのである。
 にもかかわらず、改正前法3条1項は、このような者の外国との繋がりの強さを特段の障害とすることもなく、日本国内で出生した日本人父の非嫡出子と全く同じに扱い、同一の要件で後発的な日本国籍の取得を認めたのである。

 (3) 改正前法3条1項の要件
 同条項は、両親の婚姻と日本人父の認知によって子が嫡出子たる身分を取得することを、国籍取得の届出の要件としていた。このうち認知は日本人親との法律上の親子関係の成立を意味し、血統主義に連なる考え方である。また準正による嫡出子たる身分の取得は、日本人を含む家族関係の構成員となることであり、このことを通じて日本との結合関係が認められ、日本国籍を付与するに値する者となる、とされていた。
 このように、同条項はあくまで日本人親との血縁及び日本人親との身分関係を国籍取得の根拠としていた。言い換えれば、国外で出生したことによる外国との結合関係の強さは、法3条1項による国籍取得に当たって何ら問題とされていなかった。
 なお、平成20年改正によって準正要件が除かれ、日本人父との血縁関係の成立のみを要件として国籍取得の届出が認められることとなったが、外国で出生した非嫡出子について外国との結合関係の強さを全く問題にしないという姿勢は変わらない。

 5 法12条との対比
(1) このような改正前法3条1項の対象者を法12条の対象者と比較すると、以下の点を指摘することができる。
 すなわち、法12条の対象者は出生時に日本国籍を有しているが、法3条1項の対象者は出生時に日本国籍を有していない。したがって、両者は出生時の日本との結合関係の有無において全く異なる。その上、単一国籍か重国籍かという点で、外国との結合関係の強さにも差異がある。
 法12条の対象者は出生時に血統により日本との繋がりが成立している。これに対し、改正前法3条1項の対象者は準正が成立し嫡出子たる身分を取得することによって日本との結合関係が認められるに至るのであるが、その時点でようやく法12条の対象者である「日本国民の嫡出子」と同じ身分を取得するのであり、いわばその時点で法12条の対象者と同じスタートラインに並ぶことになる。言い換えれば、改正前法3条1項の対象者で国外で出生した者は、準正により嫡出子の身分を取得するまでの間、外国人として外国で生活をしており、外国との血縁的・地縁的結合関係は、法12条の対象者よりもさらに強く形成されているということができるのである。
 このように対比すれば、法3条1項の対象者である準正子または非嫡出子よりも、法12条の対象者である嫡出子の方が日本との強い繋がりを有していることは明らかであり、我々の一般的な社会通念に照らしても常識的な理解ということができる。

(2) にもかかわらず、非嫡出子は準正または認知が成立すれば20歳になるまでいつでも(外国に居住するままで)日本国籍を取得でき、その際に準正または認知の成立に加えて日本との地縁的結合の有無や強弱を問われることは一切ないのに対し、嫡出子は出生後3ヶ月以内に国籍留保の意思表示をしなければ、日本との地縁的結合が弱いことを理由に日本国籍を喪失し、これを回復するためには日本に居住するという方法によって日本との結合関係を示さなければならない、という扱いをされることが、著しい不均衡であり、差別的取扱なのである。
 理屈は別として、国外出生児の国籍の取得の機会について非嫡出子よりも嫡出子が不利に扱われていることは、否定しがたい客観的事実である。今日、民法900条但し書きの合憲・違憲論争に代表されるように、嫡出子と比較した非嫡出子の法律上の差別的取扱は強い批判にされされているが、本件は逆に嫡出子が非嫡出子よりも国籍取得において不利益に扱われているのであり、一般的な感覚からすればその不平等さはより顕著である。
 原判決が述べる「制度目的や趣旨の違い」といった形式論は、このような実質的・具体的かつ顕著な不平等もやむを得ないものとして納得させられるようなものとは到底言い難いものである。

 6 法12条の立法目的との関連性
(1) 「実効性論」との関連性
ア 法12条の立法目的の一つは、実効性を欠く形骸化した日本国籍の発生の防止にあるとされる。すなわち、外国で出生したという点で日本との地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得したという点で外国との結合関係が強いために、日本国籍が実効性を失って形骸化する可能性が相対的に高いので、かかる形骸化した日本国籍の発生を防止する、とするものである(原判決7頁)。
イ しかしながら、上記の通り、法3条1項の対象者で日本国外で出生した者は、出生の時点で法12条の対象者よりも遙かに日本との結合関係が薄く(というよりも認知を得るまでは日本との法的な繋がりは存在しない)、外国との結合関係が強い。しかも準正が成立し嫡出子たる身分を取得することによって日本との結合関係が認められるに至るまでに、外国人として外国を生活の本拠として生活をしてきた実績が存在するのである。
 原判決の判示するところに照らせば、かかる者に日本国籍を認めても、その日本国籍が実効性を有せず形骸化したものとなる可能性は法12条の対象者に劣らず高いものといわざるを得ない。
ウ しかるに、既に何度も指摘するように、法3条1項は(改正前後を問わず)国外出生児の外国との結合の強さを問題としないのであり、言い換えれば日本国籍が実効性を失って形骸化する可能性を何ら問題とせずに日本国籍の取得を認めるものである。
 したがって、国外出生重国籍児のみについて国籍留保の意思表示を要求し、これがない場合に日本国籍を喪失するとしても、「実効性を欠く形骸化した日本国籍の発生を防止する」という立法目的を達成することはできない。法12条は、原判決の判示するところによれば同様に「実効性を欠き形骸化した日本国籍となる可能性のある者」のうちの一部のみ、その国籍を喪失させるものであり、法12条による差別的取扱は、その立法目的との関係で合理的関連性を欠くものである。

(2) 「重国籍論」との関係
 また、法12条のもう一つの立法目的である、重国籍の発生の防止・解消という点についてみると、法3条1項は(改正前後を問わず)、もともと外国籍のみを有する者について、届出によって日本国籍を取得し、その結果、後発的に重国籍となることを当然に容認する制度である。法12条が重国籍の発生を防止し解消するためにもともと有する日本国籍を喪失させる一方で、法3条1項がもともと外国籍しか有しない者に日本国籍を取得させて重国籍を発生させることを許容することは明らかな矛盾であり、この点でも、法12条による差別的取扱は、重国籍の発生の防止・解消という立法目的との関係で合理的関連性を欠くものである。

(3) 原判決は、法12条の立法目的について、「実効性がない形骸化した日本国籍の発生をできる限り防止する」「重国籍の発生をできる限り防止し解消する」と判示する(原判決7頁。なお傍点は控訴人訴訟代理人)。この「できる限り」との文言によって、原判決は、法12条の立法趣旨が国籍法のその他の制度においては実現し得ない場合があることもやむを得ないものとして許容される、とするのかも知れない。
 しかしながら、改正前法3条1項の創設時にも、また平成20年の改正時にも、「実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生を防止する」などということはそもそも全く考慮されていない。同様に、もともと外国籍のみを有する者に対しその者の意思によって後発的に日本国籍を取得させ重国籍となることを許容する法3条1項の創設時に、法12条と対比して論じられるべき「重国籍発生の防止・解消」という発想が存在しなかったことも明らかである。
 要するに、「実効性を欠く形骸化した日本国籍の発生の防止」「重国籍の発生の防止・解消」という、法3条1項の創設・改正においては全く考慮の対象とならなかった事項に基づいて日本国籍を喪失させるのが、法12条なのである。


第8 個別事情−控訴人ダイチの国籍留保の届出が戸籍法104条3項に該当すること

1 はじめに
 仮に、法12条が違憲無効でなかったとしても、控訴人ダイチの国籍留保の届出は、同控訴人の出生届の届出義務者である丸山峯男の「責めに帰することができない事由」によって届出期間内に届出をすることができなかったのであり、その後、「届出をすることができるに至った時」から14日以内に控訴人ダイチの出生及び国籍留保を届け出ているのであるから(戸籍法104条3項)、有効な国籍留保届がなされたものとして、控訴人ダイチは日本国籍を有するものというべきである。

2 「責めに帰することができない事由」の解釈
(1) 戸籍法104条1項及び2項は、国籍留保の意思表示は、出生届の届出義務者(但し戸籍法52条3項の規定によって届出をすべき者を除く)が、出生の日から3か月以内に出生届とともに国籍留保届をすることによってしなければならないと規定する。
 しかしながら、この届出期間の定めは全くの例外を認めないものではなく、同条3項は、「天災その他第1項に規定する者(届出義務者)の責めに帰することができない事由」によって届出をすることができなかったときは、国籍留保届の期間の伸張を認める。

(2) 国籍喪失制度が一般に周知されておらず、むしろ大多数の日本人は出生の事実のみによって当然に日本国籍を取得しかつこれを保持するものと考えていることは、既に詳しく論じた通りである。他方、日本国籍は、日本の構成員としての資格であるとともに、基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもあり、これを出生後3か月以内の国籍留保の届出の有無という一事にかからしめることは、国籍喪失者にとって、あまりにも過酷な不利益を課するものである。

(3) したがって、「責めに帰することができない事由」については、一刀両断的に国籍を喪失させることのないように、慎重、かつ、緩やかに解釈すべきである。
 すなわち、「責めに帰することができない事由」とは、天変地異や交通の途絶といった届出義務者と無関係な客観的・外部的事情のみならず、届出義務者の病気・怪我・身体拘束・言語的な障壁・やむを得ない必要書類の不備などの事情によりこの出生後3か月以内に国籍留保届をすることが現実的に困難であった場合や、国籍留保届を受理すべき在外公館職員の不適切な助言・指導などによりこの出生後3か月以内に国籍留保届をする機会が失われるなど、外因的な事情が関与している場合をも含むものと考えるべきである。

3 「届出をすることができるに至った時」の解釈
 届出義務者の「責めに帰することができない事由」によって国籍留保届をすることができなかったとき、戸籍法104条3項は、国籍留保届の届出期間を「届出をすることができるに至った時」から起算して14日以内としている。
 そして、「責めに帰することができない事由」が、前述のとおり客観的な事情に起因する場合をいう以上、「届出をすることができるに至った時」とは、国籍留保届を3か月以内にする妨げとなっていた客観的な事情が完全に払拭されるに至った時をいうと考える。

4 控訴人ダイチについて
(1) 父丸山が国籍留保届を3か月以内に提出できなかった事情
 父丸山が控訴人ダイチの出生後3か月以内に控訴人ダイチの国籍留保届をすることができなかったのは、以下の事情による。
ア 父丸山は、フィリピンにおいて、母ジーナとの間に4人の婚外子をもうけ、その後、1997年2月10日にフィリピン共和国の方式で婚姻した。
 そして、父丸山は、控訴人ダイチ出生直前の同年10月末ころ、在マニラ日本大使館におもむき、母ジーナとの婚姻届、控訴人ダイチの兄姉の認知届及び控訴人ダイチの出生届について相談した。母ジーナとの婚姻届と控訴人ダイチの兄姉の認知届は、父丸山が子どもたちに日本国籍を取得させるためであった。担当者はXXXXX氏であった。(伏せ字は個人情報の観点から行った。実際には実名が記載されている。以下同様。)
イ 父丸山は、婚姻届と認知届について、XX氏から「これらの届を大使館に提出すると外務省と法務省の両省を経由して時間がかかるので、もし、近々、日本へ帰国することがあるなら、本籍地である新宿区に届を提出して欲しい」との指導を受けた。当時、アジア開発銀行に勤務していた父丸山は、大蔵省と日本輸出入銀行から、同年12月に日本で開催されるセミナーの講師を要請されていたため、宮田氏の指導に従うことにし、「12月ころ、日本に出張する予定があるので、その際、新宿区に届を提出する。」と回答した。
ウ そして、父丸山がXX氏に「出産予定の子についてはどうすればよいか。」と尋ねたところ、XX氏から「認知届のように出生届を作成して、出生証明書の翻訳したものを添付して、出張を利用して新宿区に提出して欲しい。」との回答があり、出生届の用紙を渡された。しかし、XX氏から出張が出生後3か月経過後になったときにはどうしろという指示はなく、また、出生後3か月以内に国籍留保届をしなければ、日本国籍を喪失するとの説明はなかった。父丸山は、国外で子が出生した場合の出生届の届出期間が3か月とされていることは知っていたが、日本国内では出生届は届出期間内に提出しなくても受理され、実際には何の罰則も課されることはないことなどから、XX氏の指示どおり「日本で提出すればよい」ということを信じて疑わなかった。ましてや、出生届を出生後3か月以内に提出しなかった場合、子が日本国籍を喪失するなど想像もしなかった。
エ 母ジーナは、1997年11月6日、フィリピンにて、父丸山との間の5番目の子(男児)を出産した。父丸山は、その男児を「ダイチ フェルナンド ミサ マルヤマ」と名付けた。父丸山は、母ジーナとの間の嫡出子である控訴人ダイチが出生により当然に日本国籍を有していると信じており、戸籍には「大地」と表記するつもりであった。
オ しかし、上記セミナーの日程が1998年2月23日から24日に変更となったため、父丸山の日本への帰国は、同月17日となった。それまでに、父丸山は、控訴人ダイチの出生届を新宿区役所に提出すべく、出生証明書の翻訳を作成した。
 もっとも、当時、父丸山は、アジア開発銀行に勤務していたが、コンサルタントから提出された技術提案書(1プロジェクトにつき4、5社から提出される)を評価し、順位を決める選定委員会の議長をつとめ、コンサルタントとの契約交渉を行い、契約書を作成し、銀行内の他の部局から提出されたコンサルタント雇用書類の内容を審査するなどという通常の業務に加え、日本出張に向けた資料作成に忙殺されており、控訴人ダイチの出生後3か月がいつなのかにまで考え至るゆとりはなかった。ただ、XX氏からの「日本で提出すればよい」という指示を信じて疑わず、日本に出張に行った際に、控訴人ダイチの出生届を提出すればよいと思い込んでいたのである。
カ 父丸山は、1998年2月17日、日本に帰国した。そして、帰国の翌日である18日、父丸山は、新宿区役所に行き、婚姻届、認知届4通及び控訴人ダイチの出生届を提出した。しかし、戸籍係担当者から控訴人ダイチの出生届を返還され、控訴人ダイチについても認知届を記入して提出するよう求められたため、父丸山は控訴人ダイチの認知届を記入し、提出した。
キ ところが、父丸山が同月26日に新宿区役所四谷出張所で戸籍謄本を取得したところ、兄姉4人の名前は戸籍に記載されていたが、控訴人ダイチの名前は戸籍に記載されていなかった。父丸山は、直ちに新宿区役所に行き、窓口で尋ねると、担当者から控訴人ダイチが国籍喪失したことを知らされた。その際、2月18日に提出した認知届を返戻された。

(2) 父丸山の事情が「責めに帰することができない事由」にあたること
 父丸山は、前述のとおり、在マニラ日本大使館において、母ジーナとの婚姻届、控訴人ダイチの兄姉の認知届及び控訴人ダイチの出生届について相談し、「出産予定の子についてはどうすればよいか。」と尋ねたところ、XX氏から「認知届のように出生届を作成して、出生証明書の翻訳したものを添付して、新宿区に提出して欲しい。」との回答があり、出生届の用紙を渡されたのであって、他方で、出生後3か月以内に国籍留保届をしなければ、日本国籍を喪失するとの説明はなかったのである。そのため、父丸山は、控訴人ダイチの国籍留保届を3か月以内にすることができなかったのである。
 そうであれば、父丸山の事情は、大使館職員の不適切な助言・指導などにより3か月以内に届出をする機会が失われるなど、外因的な事情が関与している場合であるといえ、「責めに帰することができない事由」にあたる。

(3) 父丸山が「届出をすることができるに至った時」から14日以内に届出したこと
 前述のとおり、父丸山において、国籍留保届を3か月以内にする妨げとなっていた外因的な事情は、XX氏からの「認知届のように出生届を作成して、出生証明書の翻訳したものを添付して、新宿区に提出して欲しい。」との不適切な回答である。
 そして、父丸山において、この不適切な回答に従わずに、国籍留保届を提出しなければならないと知ったのは、父丸山が1998年2月26日に新宿区役所で控訴人ダイチの国籍喪失を知らされたときである。
 父丸山は、前述の通り2月18日に新宿区役所に控訴人ダイチの出生届及び国籍留保届を提出したが、窓口で返戻された。しかしながら、上記の通り父丸山は宮田氏の不適切な回答によって控訴人ダイチの出生後3か月を徒過して出生届を出すに至ったものであり、新宿区役所窓口にて控訴人ダイチが父丸山の嫡出子であり、かつその出生後3か月を経過していることに気づき、その旨を父丸山に指摘すれば、その場で父丸山はXX氏の回答が不適切な内容であったことに気づくとともに、その旨を区役所窓口担当者に説明をした上で、改めて出生届の受理を求めたはずであり、またこの時点での出生届は明らかに父丸山の「責めに帰することのできない事情」がやんでから14日以内であるから、新宿区役所はこれを受理すべきであった。したがって、父丸山が2月18日に控訴人ダイチの出生届を新宿区役所窓口に提出した時点で、控訴人ダイチの出生の届出及び国籍留保の届出は適法になされたものというべきである。

5 結論
 以上によれば、父丸山は、控訴人ダイチの国籍留保届を「責めに帰することができない事由」によって3か月以内にすることができなかったのであり、その後、「届出をすることができるに至った時」から14日以内に届け出ているのであるから、控訴人ダイチにつき、有効な国籍留保届をしたといえ、控訴人ダイチは日本国籍を有するといえる。


以 上

控訴理由書その3

控訴理由書その3は45ページから76ページまでです。

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第5 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その1
−国内出生児との差別的取扱

 1 原判決の判示
 原判決は、生地主義が国籍の生来的取得の要件に係る合理的な立法主義の1つである旨を述べた上、「我が国の領土主権の及ばない外国で出生した者は、日本で出生した者と比べて一般に我が国との地縁的結合が薄く、他方で、通常、その出生した国との地縁的結合が強く認められるのであって、類型的に見れば、そこには日本で出生した者との間で差異があることは明かであるから、出生地という地縁的要素を我が国との結合関係の指標とすることは合理性がある」(原判決12頁以下)として、類型的に実効性のない形骸化した日本国籍を有する重国籍の発生をできる限り防止するという目的のために、出生地の別によって、異なる扱いを設けることに合理的関連性がある旨判示する。
 この判示からは、国外出生児に対する日本国籍の付与に関する考え方について、以下の特徴を見て取ることができる。
 第一に、出生地による差別的取扱の根拠を、日本との地縁的結合の薄さと出生国との地縁的結合の強さという、二つの要因に求める点である。
 第二に、日本との地縁的結合の薄さを論じているが、それは「生地主義の立場から地縁的結合が薄いために国籍が付与されない」というのではなく、血統主義によって取得した日本国籍を、地縁的結合の薄さを理由に喪失させる(または付与しない)、とする点である。

 2 国籍法における血統主義の基本原則について
 既に論じたように、国籍法は2条1号において「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」には日本国籍を取得するとしており、血統主義、すなわち、「日本国民である父又は母との法律上の親子関係があることをもって、我が国との密接な結びつきがある」とすることをその基本原則としている。このことは最判平成14年11月22日が、「(法2条1号)は、日本国籍の生来的な取得について父母両系血統主義を採用したものであるが、単なる人間の生物学的出自を示す血統を絶対視するものではなく、子の出生時に日本人の父又は母と法律上の親子関係があることをもって我が国と密接な関係があるとして国籍を付与しようとするものである」と判示し、また最大判平成20年6月4日が、「子が出生の時に日本国民である父または母との間に法律上の親子関係を有するときは、生来的に日本国籍を取得することになる。」と判示するなど、判例上も繰り返し確認されている。
 このとおり、法は、子に生来的に国籍を付与すべきか否かを決するにあたっての、日本との結合関係の強さを判断する指標として、血縁、すなわち、日本国籍である父又は母との間の法律上の親子関係があることを基本としている。言い換えれば、法2条1号は、「日本人親との血統があれば日本との真実の結合関係あり、とする」として生来的に国籍を付与するものであり、この際に子の出生地を問わないし、日本との地縁的結合の有無すら問題としていないのであり、したがって日本との地縁的結合の強弱を議論する前提が存在しないのである。
 しかるに法12条が日本の領土主権が及ぶか否かを基準にして国籍取得の要件に差異を設けることは、本来国籍取得の要素とされていない事情の不存在を理由に国籍取得について国外出生重国籍児を不利益に扱うものであり、極めて不当である。

 3 原判決批判−原判決のいう「地縁的結合」の実質的な意味
 ところで原判決は、「出生地という地縁的要素に国との結び付きを見いだすことは不合理ではない」として、生地主義の考え方を紹介する(原判決12頁)。
 生地主義の考え方を「地縁的結合」という言葉を用いて簡単に述べるならば、出生国との地縁的結合を有する者に対してその国の国籍を与え、地縁的結合を持たない者に対してはその国の国籍を与えない、という考え方である。同時に、あくまでのその国との地縁的結合に着目してその国の国籍を与えるのにとどまり、その子が他の国との間に血縁に基づく結合関係を有している場合に、他国の国籍の取得を阻害するものではない。
 これに対し、原判決の判示によれば、法12条は日本との地縁的結合の薄さに着目して日本国籍を喪失させるというのであり、地縁的結合はその薄さを判定するためにのみ、言い換えれば日本国籍を失わせるためにのみ考慮されている(国内で出生した子の「日本との地縁的結合の強さ」はその子の日本国籍取得の根拠となっていない)。そして、生地主義とは全く異なる立法主義である血統主義の考え方によって成立したはずの日本国籍を、日本との地縁的結合の薄さを理由に消滅させる。このような「地縁的結合」の役割は、生地主義におけるそれと全く異なるものであり、原判決が生地主義の考え方を引いて法12条の合理性を論じようとするのは誤りである。

4 原判決批判−国外出生子について地縁的結合を国籍喪失の根拠とすることの誤り(その1)
(1) 前述の通り、原判決は、国外出生子の「日本との地縁的結合の薄さ」と「外国との地縁的結合の強さ」をもって、国内出生子との間の差別的取扱の合理性を根拠付けるものである、とする。
 しかしながら、外国との結合関係に関する原判決の判示は、微妙だが重大な点において矛盾している。すなわち、原判決は、「外国で出生した日本国民で外国の国籍をも取得した者は、…外国籍をも取得している点で外国との結合関係が強い」(7頁)と判示する一方で、「我が国の領土主権の及ばない外国で出生した者は、…通常、その出生した国との地縁的結合が強く認められる」(12乃至13頁)と判示する。ここで、日本国籍を失わしめる重要な根拠である「外国との結合関係」とは国籍国、出生国いずれの国を対象としているのかが明らかでない。

(2) この矛盾は次のような具体例を見れば容易に明らかになる。すなわち、日本人と外国人(血統主義国の国籍を有する)の夫婦の子が両親いずれの本国でもない第三国(血統主義国)で出生した場合は、当然に法12条の適用対象となるが、この子は果たして、外国人親の本国と出生国のいずれの国との間で「結合関係が強い」と評されるのであろうか。またそれはどのような根拠によるのであろうか。
① 上記の「外国籍をも取得している点で外国との結合関係が強い」との判示によれば、外国人親の本国との間に強い結合関係が生じるものと評されるかのようにも解される。しかしながら、この結合関係は地縁的結合ではない上に、外国人親の本国に居住していないのであるから、日本との結合関係(の薄さ)と外国人親の本国との結合関係(の薄さ)は同等であるはずであり、結局、「外国との結合関係の強さ」を説明することはできなくなる。
② 他方、「出生した国との地縁的結合が強い」との判示によれば、出生した第三国との間に強い地縁関係が生じるものと評されるようにも解される。しかしながら、出生した第三国は子にとって外国であり、この国との地縁的結合の強さを論じることが日本国籍を喪失させることを合理的に根拠付けるものとは到底解しがたい。
 このように、「日本人と外国人の夫婦の子が第三国で出生した場合」という、法12条が当然に想定するケースを考えた時、日本との地縁的結合の薄さと外国との結合の強さという二つの要因によって法12条による国籍喪失の合理性を根拠付けることは不可能であり、原判決の論旨は破綻しているのである。

(3) このような破綻が生じる理由は明らかである。原判決(及び被控訴人国の主張)は、法12条の適用対象者である子の出生地と国籍国とが一致するという根拠のない前提に依拠しているからである。
 本件控訴人らが一見「国籍国との地縁的結合が強い」と見られるのは、外国人親の本国で出生し、出生国と国籍国がたまたま一致していたからである。本件控訴人らがフィリピン国籍を取得したのは母がフィリピン国籍だからであって、フィリピンで出生したからではない。控訴人らのフィリピン国籍取得に関しフィリピンとの地縁的結合の強さは何ら関係ないのである。このことは、控訴人らが第三国で出生したと仮定して考えれば容易に理解できよう。その場合、控訴人らと出生国との地縁的結合の強さを論じることは日本国籍を喪失させる根拠となり得ないし、他方で国籍国であるフィリピンとの結合関係の強さは日本との結合関係と差異がないはずである。
 子の出生地と国籍国が意味のある一致を示すのは、生地主義国で出生した場合である。すなわち、原判決及び被控訴人国は、昭和59年改正前の法9条の制度を念頭に、法12条の立法目的を論じているのであり、そのために上記のような説明困難な状況を生じさせているのである。

5 原判決批判−国外出生子について地縁的結合を国籍喪失の根拠とすることの誤り(その2)
 原判決が国外出生子について、地縁的結合を国籍喪失の根拠とすることの誤りを、さらに例を挙げて論じる。
(1) 日本人夫婦の子が生地主義国で出生した場合、その子は法12条の適用対象となり、国籍留保の意思表示をしなければ日本国籍を失う。
 このような事例も法12条が当然適用対象として予定するものであるが、この事例において日本国籍を喪失させるという結論も、その理由として日本との地縁的結合が薄いことを挙げることも、我々の常識的な感覚に照らして不合理であることは言うまでもないであろう。まさに、我々は「日本人の子は日本人」であると認識しているのであり、もし日本との結合関係を論じるならば、日本人親を通じて日本との結合関係は現に存在している、と考えるのが常識的な理解である。

(2) さらに、日本人夫婦の子が血統主義国で出生した場合を対比して検討するならば、上記の結論の不合理性は一層顕著である。
 この事例を上記の事例と対比すると、いずれも子は日本国外で出生しており、またその生活実態も異ならないとするならば、両事例において子の出生国との地縁的結合の強さも、また日本との地縁的結合の薄さも違いはない。しかるに、この事例においては法12条は適用されず、子は日本国籍を喪失することはない。
 このような結論は、我々の常識的な感覚からは非常に違和感のあるものであり、合理的に理解することが困難である。
 このような、我々の常識的な感覚に合致しない結論が生じる理由も、上述したとおり、原判決や被控訴人国が、国外出生子は出生国と国籍国が一致するという、根拠のない前提に立脚しているためである。

6 原判決の誤解の原因−法12条制定時の前提認識
(1) 上記のような誤った前提に立脚して法12条が制定されたことは、その立法過程に見ることができる。例えば、
① 「現在、過去の移民をされました方々の子孫の方々については、やはりその土地でもう永住して日本とは余り縁がないという方もかなりおられるという状況がございます。」(乙6の1・13頁1段目・枇杷田民事局長答弁)
② 「片っ方の親が外国人である、しかも生まれたところが外国であるということになりますと、日本国籍をそのままずっと有効性、実効性のある国籍として維持するような状況にあるという可能性がかなり薄いという面では、現在の生地主義で生まれたことによる重国籍者とそう違いはないことになるのではないか。」(乙6の2・16頁2段目・枇杷田民事局長答弁)
③ 「非常に多くの方はいわば移民として向こうに永住するつもりで言っておられるという方もかなりおられるわけで、むしろ数としてはその方が圧倒的に多いかと思います。そういう場合に、生まれた子供さんについてはこれはずっとそこに永住するということになるわけだから、したがって日本の国籍を持っておってもそれは形骸化してしまうだろう」(乙6の4・14頁4段目・枇杷田民事局長答弁)
④ 「そういう海外で生まれた二重国籍の子供さんというのは、先ほど申しました傾きかげんから申しますと日本に傾かないという可能性が多いグループであろうということができると思います。現に先ほども申し上げましたように、ブラジルあたりでは両親が日本国籍をもっておる方あるいは父親が日本人であるという場合の子供さんについても留保届を出される、したがって事実上は出生届を出されるという方は三分の一程度だというふうにも聞いております。」(乙6の4・16頁1段目・枇杷田民事局長答弁)
 このように、昭和59年改正の法12条制定当時、その基礎となった事実認識は、戦前の旧国籍法時代から改正前現行法時代に外国で居住した日本国民の典型的な集団であったいわゆる国外移民(その多くは生地主義国に移住した)を念頭に、「外国で出生した子はその大半が出生国でその人生を送る」というものであったのである。

(2) そもそも、「外国で出生した者は日本との地縁的結合が薄く、他方で、通常、その出生した国との地縁的結合が強く認められる」との判示は、出生の時点で出生地とその人物との将来の結合関係を適切に予測できることを前提としている。
 なるほど、「ある土地で生まれたものは出生国でその生涯を送り、出生国を出て日本やその他の国で生活の本拠地を築くことは例外的な事態である」という社会事実が存在するならば、ある国で出生した者とその国との結合関係を出生時に判断し決定することも可能であり、合理性を有するであろう。そしてその典型的な存在は、いわゆる国外移民であった。
 しかしながら、そのような社会状況に対する事実認識は、戦前や戦後間もない頃の移民・移住時代ならまだしも、国境を超えた人の移動が容易かつ頻繁になった現代においてはもはや通用しない、時代遅れのものである。昭和59年の法改正当時、既に、人がその出生国を出て外国に赴き、その地で外国人の異性と知り合い結婚し、子を設け、いずれかの本国あるいは第三国で家庭を形成する、という事態が現実に進行していた。そしてこのような状態が今後さらに進行するであろうとの予測を踏まえて、父系血統主義から父母両系血統主義への大きな転換を図ったのである。昭和59年改正が、その前提として想定していた国際結婚の増加とは、国境を越えて移動する人の増加を当然の前提とし、かつ外国で生活の本拠を築き家庭を形成することを当然の帰結とするものである。
 法12条が想定する国外出生重国籍児の人生は、このような昭和59年法改正が念頭に置いた人間の人生や社会のあり方と全く相反するものである。
 また、外国で出生した日本国籍者の実態をみても、日本政府による属人主義に基づく国家管轄権の行使が認められているばかりか(刑法2条乃至4条)、選挙権等の公的権利の行使も認められているのであるから、出生地が外国であるとの一事をもって、血縁的結合関係によって裏付けられた我が国との緊密な関係が薄れるとするのは不当である。

(3) 今日のように国境を越えた人の移動が常態化した社会における、出生地を理由とする「日本との地縁的結合の薄さ」とは、むしろ日本との事実上の繋がりの薄さ、言い換えれば国外に居住することに起因する日本政府による本人の把握の困難さを意味するもの、と理解するのが正しい。
 原判決が「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないことになる」(原判決7~8頁)と判示する点も、かかる実情は日本政府が把握し得ない国外居住邦人全般について等しく当てはまるものである。在外邦人の国政選挙権の行使の機会が長年に渡って奪われてきた理由の一つも、このような「在外邦人の権利行使・義務履行の機会の確保の困難さ」にあったといえる。
 しかしながら、このような事態は人の移動の国際化によって不可避的に発生するものであり、重国籍者の増加のみがその原因ではないし、また日本国民のみに特有の問題でもない。日本を含め諸外国はかかる事情を時代の変化に伴う必然的なものとして、受け入れているのである。
 このように、日本との地縁的結合の薄さは日本への帰属の強弱の問題ではなく、日本政府による把握の困難さとそれに伴う権利行使・義務履行の確保の困難さという事実上の問題であり、出生地が国内か国外かということと、日本国籍の取得において区別することとの間に合理的関連性はない。
 しかるに、国外出生重国籍児について、上記のような「国外居住邦人の把握の困難さ」という問題を、日本への帰属の弱さにすり替えて、日本国籍を喪失させるのは、全く誤った問題解決の論理と言うほかない。

7 他国の国家実行に鑑みても法12条の差別的取扱は正当化されないこと
(1) 原判決は、1997年欧州国籍条約及び中華人民共和国の国籍法を根拠に、出生した国との地縁的結合を重視してそれを国籍と連携させて考えることは、生地主義を原則とする国のみならず、血統主義を原則とする国においても採用されている旨を述べる。しかしながら、これらの国家実行と法12条の国籍喪失制度及び法17条の国籍再取得制度とでは、状況が異なるのであるから、これらの国家実行をもってしても、法12条による差別的取扱を正当化しえない。

(2) まず、1997年欧州国籍条約をみるに、確かに、同条約第6条第1項a号においては、子どもが外国で出生した場合の例外規定を設けることが許容されているものの、そもそも、同規定を巡っては、移民・難民・人口問題委員会より、当該規定が明かに外国で生まれた国民に対する差別であるから、削除されるべきとの反対意見も提起されていたほどである(乙12 1217頁)。しかしながら、このような規定が最終的に置かれたこととの均衡において、同項第4項b号は、「各締約国は国内法において、左に掲げる者の国籍取得を容易にしなければならない。・・・第6条1項a号の例外に該当する自国民の子ども」と定め、外国で出生したがために国籍を取得できなかった子どもについては、帰化のほか、法律上当然の国籍取得などの、国籍取得の簡易化の措置がなされなければならないとされているのである。このように、国籍を喪失した子どもが、自らが望みさえすれば、容易に国籍を取得できる法制度を設けてこそ、外国で出生した子どもに関する例外規定がはじめて正当化されうるのである。
 これに対し法17条1項は、「第12条の規定により日本の国籍を失った者で20歳未満のものは、日本に住所を有するときは、法務大臣に届け出ることによって、日本の国籍を取得することができる。」と定め、20歳という年齢制限のみならず、「日本に住所を有する」という要件(以下「住所要件」という。)を課しており、外国で出生し、国籍を喪失した者が国籍を再取得することが極めて厳しくなっている。かかる要件の厳しさは、法3条1号が「父又は母が認知した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによって、日本の国籍を取得することができる。」とのみ定め、認知による国籍取得の場合は、住所要件が一切課されていないことに鑑みても、顕著である。
 そうだとすれば、1997年欧州国籍条約において前述の例外規定が設けられていることのみをもって、国籍法が出生地による例外を設けていることを正当化し得ない。

(3) 次に、中華人民共和国においても、判示されたとおりの規定はあるものの、他方で、同国における国籍の再取得は極めて容易になっている。すなわち、同国国籍法第7条によると、当該人に中国人の近親者がいる場合、ないし、当該人が中国で定住している場合は、許可申請を経て、中国国籍を取得することができると規定されている。そのため、父母の一方が中華人民共和国国籍者であるような場合は、年齢及び住居にかかわらず、許可申請を経て、中華人民共和国国籍を取得できるのであり、これは、法17条の国籍再取得の要件とは相当程度異なるものである。したがって、同国の規定をもってしても、法12条が出生地による例外を設けていることを正当化しえない。

 8 結論
 以上のとおり、国外で出生した日本国籍者について、血統主義の原則を歪めることは適当ではないばかりか、法17条がそのような者についての国籍再取得の要件を厳しくしていることに鑑みれば、法12条による差別的取扱は、他国の国家実行によっても正当化されるものではない。
 したがって、出生地による区別と立法目的との間に合理的関連性はない。


第6 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その2
   −留保の意思表示の有無による差別的取扱

1 国籍留保の意思表示の有無による差別的取扱いの存在
(1) 差異の存在
 国外出生重国籍児は、法12条の適用によって、その親が子の出生後3か月以内に国籍留保の意思表示をした場合には、その子の日本国籍は保持されるのに対し、親が3か月以内に国籍留保の意思表示をしなかった場合には、子は出生時に遡ってその日本国籍を喪失する。
 このように、親が法12条の国籍留保の意思表示をした場合とこれをしなかった場合とで、子の日本国籍の保持について差異が生じる。

(2) 差異の問題点
ア そもそも、国籍留保の意思表示は出生届用紙の「その他」欄に設けられた「日本の国籍を留保する」と記載された項目に署名する、という極めて形式的な行為である。このような形式的な行為が行われたか否かによって、もともと実効性を欠き形骸化したものとなる可能性が相対的に高いとされる国外出生重国籍児の日本国籍が、実効性を取得することになるとする原判決の判示は不合理である。
 しかも、親が子の国籍留保の意思表示をしなかったからといって、そのことが親に子の国籍を保持させる意思がなかったことを推認させるものではない。むしろ通常は日本国民である親は子も出生によって当然に日本国籍を取得するものと考えており、留保の意思表示をしなかったのは単に国籍喪失制度を知らなかったか、あるいは知っていたが留保届の期限を忘れてしまっていたに過ぎない。このような親の不知又は軽微な過失によって子の日本国籍を喪失させる(あるいは取得させないこととする)のは著しく均衡を失する。
 また、実際に親が国籍留保の意思表示をしたもののその後当該子が継続して外国に居住し、日本と何らの接点も有しなかった場合には、原判決の考え方によれば留保の意思表示があったにもかかわらずやはり日本国籍は実効性を失い形骸化しているといわざるを得ない。
 したがって、「実効性を欠き形骸化した日本国籍の解消」という立法目的と、これを達成する手段として「親による国籍留保の意思表示がなされない子の日本国籍を喪失させる」という手段とは合理的関連性を有しない。
 なお、子の国籍の得喪に関する重要な問題であるにもかかわらず、本人である子の意思表明の機会がないことも問題であり、この点は子の利益を考えて判断すべき親が存在しない場合(戸籍法104条1項括弧書き、52条3項)に子にとって著しく不利益である。
イ 親が国籍留保の届出をしなかった場合には子は日本国籍を喪失し、重国籍状態は解消されるが、親が国籍留保の届出をした場合には重国籍状態は解消されない。したがって、国籍留保の意思表示の有無と重国籍の防止・解消との間には合理的関連性がない。
 もし法12条の立法目的が「本人(親)の意思に反しない範囲内の、可能な限りでの重国籍防止・解消」という内容であるならば、その程度の優先順位の低い立法目的達成のために本人の日本国民たる地位を喪失させるのは目的と手段との均衡を著しく欠いており、しかも親の意思によらない重国籍の防止・解消である点で、やはり合理的関連性があるとは到底言い難い。

2 親の国籍留保の意思表示の有無により差異を設けることは立法目的との間に合理的関連性がある、との原判決の判示とその根拠(原判決13頁以下)
(1) 原判決は、国籍留保の意思表示の有無による区別と立法目的との合理的関連性について、「そもそも子の親は、一般的に、血縁に裏付けられた親子の情から、子の福祉や利益を最大限に図るべく行動するものであると考えられ、子に日本国籍を留保させるのが相当か否かの判断に当たっても、親は、子が日本の国籍を取得して、日本との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことがその子の福祉や利益につながるか否かという観点から行動するものであることが通常であって、社会通念に照らしてもそのような経験則が存するということができる。」とした上で、「国籍留保の意思表示をされた子は、その親が子の福祉や利益の観点から日本国との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことが相当であると判断したものと考えられるのであるから、類型的に我が国との結び付きが強いものということができ、反対に、国籍留保の意思表示がされない子は、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高いということができる。」として、「類型的に実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者の発生を防止するという立法目的を達成するために、親が子の国籍を留保する旨の意思表示をした者とこれをしなかった者との間で差異を設けることは不合理ではない」と結論付ける。

(2) このように、原判決は、国籍留保の意思表示をすることによって子の日本国籍が保持されることの根拠を「子に日本国籍を保持させる」という親の意思に求め、その合理性を「親は子の福祉や利益を最大限に図るべく行動するものであり、子の日本国籍の取得についても、親が子の福祉や利益を考慮して選択し判断するものである」という経験則に求める。

(3) これに対して、親が子の国籍留保の意思表示をしなかった場合に子が日本国籍を喪失することの根拠について、原判決の論旨は明らかではない。
ア 原判決は、一方で、親が国籍留保制度を知らなかったために国籍留保の意思表示をしなかった場合にも子が国籍を喪失することが不合理ではないとする理由として、「そもそも親が子の出生届出すらしようとせず、それゆえに国籍留保の意思表示をしない結果となることをもって、日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして取り扱うことは不合理ではない」(原判決15~16頁)と判示している。ここでは、出生の届出を(したがって国籍留保の意思表示も)行わないという親の行動の中に「子に日本国籍を保持させない」という親の意思ないし選択が表れていると見ることができるとしており、国籍留保の意思表示をしないことによる子の国籍喪失の根拠を、国籍留保の意思表示をした場合に子の国籍が保持されることの根拠と同様に、親の意思に求めるものとしていると解される。
イ しかし他方で原判決は、「父母等が国籍留保の意思表示という積極的行為をしなければ、子は生来的に国籍取得をしないという制度」(原判決10頁)、「国籍留保の意思表示がされない子は、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高い」(原判決14頁)などと判示しており、これらの判示からは親が国籍留保の意思表示をしないことによる子の日本国籍の喪失の根拠を必ずしも「子に日本国籍を保持させない」という親の意思なり選択とは結びつけていないようにも理解される。
ウ 本件では、国籍留保の意思表示がないことにより日本国籍を喪失させることの憲法適合性が問題となっている。にもかかわらず、原判決は、国籍留保の意思表示がないことによる子の国籍喪失の根拠を、「子に日本国籍を保持させない」という親の意思に求めるのか、それとも親の意思いかんに関わらず国籍留保届がないという客観的事実それ自体が子の国籍喪失の根拠であるとするのか、明らかにしていないのである。

3 重要な前提事実
(1) 原判決が、国籍留保の意思表示がないことによる子の国籍喪失の根拠について、上記のいずれの見解に立脚するものであれ、国籍留保の意思表示の有無によって日本国籍の取得ないしは保持あるいは喪失について別異の取扱をすることに合理的関連性があるか否かを判断するにあたって、子の出生による国籍取得に関する日本国民の常識的な(あるいは経験則に立脚した)意識とはどのようなものであるか、そのような意識の下で国籍留保の意思表示はどのような意味を持つのか、子の国籍留保の意思表示をしなかった日本人親の意識はどのようなものであったのか、といった点は、極めて重要な前提事実として、理解しておく必要がある。
 そこで、この点について以下論じる。

(2) 国外出生重国籍児の国籍に関する一般的な認識
ア 日本が旧国籍法以来一貫して血統主義を採用していることに加え、日本国民が従来単一民族であると認識され、またそのように教育されてきたことなどもあり、日本人の間では、子の国籍の取得について血統主義的な理解が深く定着している。それは簡単に言えば「日本人の子は日本人」という意識である。法律上は子の出生時において法律上の父または母が日本国民であること、が要件である(法2条1号)が、素朴な感覚としては、日本人父から認知を受けた子も「父親が日本人なのだから当然子どもも日本人だろう」という認識を持つ日本人は比較的多い。他方で、「日本で生まれたから日本人になる」という意識は日本人の中には多くない。
 このように、「日本人の子は日本人」というのが生来的な国籍取得に関する日本国民の一般的な認識である。多くの日本人は、自分自身が日本国籍を持っている理由は「親が日本人だから」と素直に考えており、その子についても「日本人である自分の子は出生によって当然に日本国籍を取得するもの」、と理解している。このような認識は、他方配偶者が外国人であれ、あるいは子の出生場所が外国であれ、変わることはない。日本人である自分の子が日本国籍を取得するのは、配偶者の国籍がどこであるとか、子がどこで生まれたかなどという事情とは関係ない、とごく自然に認識している。
イ 他方で、多くの日本人は、国籍留保という制度について知識を持っておらず、外国で出生し出生によって外国籍も取得した子は3ヶ月以内に国籍留保の届出をしないと日本国籍を失う、ということを知らない。法律家の間ですら、この国籍喪失制度は周知のものとは到底言えないのであり、本件のような案件に接して初めてこの制度の存在を知る裁判官や弁護士も少なくない。国籍法など普段目にすることのない大多数の日本国民にとってはなおさら、配偶者が外国籍で子が外国で生まれた場合、あるいは生地主義国で生まれた場合に限り、一定の手続を踏まないと子が日本国籍を喪失する、などとは予想もできない事態なのである。
 ましてや、日本人同士の夫婦の間の子であっても生地主義国で生まれた場合には日本国籍を失うおそれがあるとか、その出生場所が同じ外国でも血統主義国であれば日本国籍を失うことはない、などという「生まれた場所によって日本国籍の扱いが違う」という事態は、法12条の制度を知らない者には想像もつかないものである。

(3) 国籍留保の意思表示をしなかった親の認識
 何かのきっかけで国籍喪失制度を知った親が、3ヶ月以内に子の国籍留保の意思表示を行った場合には、なるほどその意思表示に「自分の子に日本国籍を保持させよう」との親の積極的な選択を見て取ることが可能であろう。また、同じく国籍留保制度を知りつつ、あえてその意思表示をしなかった場合には、その親は「自分の子に日本国籍を保持させない」という選択をしたと評価することができるであろう。
 しかしながら、上述したように、国籍喪失制度を知らず、したがって国籍留保の意思表示をしなければその子が日本国籍を喪失することを知らない、本件控訴人らの親を含む大多数の日本人親は、そもそも「子に日本国籍を取得させるか否か」を判断していない。むしろ、「日本人である自分の子は当然に日本国籍を持っている」と考え、その状態をあえて変更しないでいるという点で、国籍留保の意思表示をした親と全く同一の選択を行っているものということができるのである。

4 本件控訴人らの親の認識
(1) 本件の控訴人らの父親も、ごく一般的な日本人である。彼らは、控訴人らが出生した当時、国籍留保届という手続の存在を知らず、3ヶ月以内に国籍留保の意思表示をしないと日本国籍を喪失する、という認識も持ち合わせていなかった。しかしながら、彼ら(控訴人らの父親ら)が、控訴人らが出生した当時、子どもに日本国籍を保持させない、という選択をしていたと推測することは、明らかに不合理的である。むしろ、以下のそのいくつかの代表例を指摘するとおり、控訴人らの父親らは、日本人である自分の嫡出子として出生した控訴人らは当然日本国籍を持っている、と考えており、しかもそれを喪失することなど思いもつかなかったのである。

(2) 控訴人ダイチのケース(甲51)
ア 事実関係
 控訴人ダイチは、丸山峯男とジーナ・ホアン・デ・ミサの間の嫡出子として、1997年11月6日にフィリピンにて出生した。
 丸山とジーナの間には、両名が1997年2月10日にフィリピンで婚姻する以前に、フィリピン国内で出生した4人の非嫡出子があった。丸山はジーナとの結婚に合わせてこれら4人を認知し、日本国籍を取得させたいと考えた。
 そこで丸山は、1997年10月末頃に、在マニラ日本大使館を訪れ、応対した宮田勢津子という職員に対し、ジーナとの婚姻の日本への報告的届出、4人の子どもの認知届、間もなく生まれる控訴人ダイチの出生届の手続をどのように行うのか(例えば必要書類は何か、など)を尋ねた。これに対し宮田は、まず婚姻届と認知届について、「これらの届を大使館に提出すると外務省と法務省の両省を経由して時間がかかるので、もし、近々、日本へ帰国することがあるなら、本籍地である新宿区に届を提出して欲しい。」との指導を受けた。ちょうど丸山は仕事の都合で12月に日本に出張する予定があったので、その際に新宿区役所に上記各届を提出する旨を答えた。また宮田は、控訴人ダイチの出生届について、「同様に出生届を作成して出生証明書とその翻訳を添付して新宿区に提出して欲しい。」と指導し、丸山に対し出生届出用紙を交付した。
 丸山は宮田の指導にしたがって日本に帰国した際に本籍地である新宿区に上記各届出を行う予定であったが、諸般の事情により日本での仕事の日程は、翌1998年2月23日から24日となった。そこで丸山は2月17日に帰国し、翌18日に新宿区役所を訪れ、上記各書類(妻ジーナとの婚姻の報告的届出、4人の非嫡出子に対する認知届、控訴人ダイチの出生届、及びこれらに添付された各資料)を提出した。しかし、窓口担当者は、控訴人ダイチの出生届を丸山に返却し、認知届を提出するよう指示したため、丸山はその場で認知届出書を作成し提出した。
 ところが2月26日に丸山が戸籍を取り寄せたところ、控訴人ダイチの名前が記載されていなかったため、新宿区役所で問い合わせをした。これに対し応対した職員は、控訴人ダイチは嫡出子なので認知届出はなく出生届の提出が必要であること、最初に出頭した2月18日の時点で既に控訴人ダイチの出生後3ヶ月を経過しているので控訴人ダイチは日本国籍を喪失しており、したがって出生届は受理できず、戸籍にも記載されないこと、を丸山に回答した。
 丸山はこの時初めて、法12条の国籍喪失制度の存在を知ったのである。
 その後、同年8月14日に、丸山は4人の非嫡出子(準正が成立)について法3条1項(平成20年改正前)による国籍取得届を在マニラ日本大使館に提出し、4人の子は日本国籍を取得した。
イ 丸山の認識内容
 上記の経緯に照らし、丸山が控訴人ダイチの出生前から、控訴人ダイチの出生届を提出することを予定していたことは明らかである。
 また、丸山が控訴人ダイチの出生届と同時に4人の非嫡出子の認知届を提出し、さらにその後4人の子の国籍取得届を行ったことから考えれば、丸山が嫡出子である控訴人ダイチについても当然に日本国籍を保持させる意思を有していたことは明らかである。
 そしてさらに、丸山が控訴人ダイチの出生届を提出する意思を有していながら、これをその出生後3ヶ月以内に行わず、かつ3ヶ月以内に行わなかったことについて何ら問題であると認識していなかったことから見て、丸山が当時、法12条の制度、すなわちフィリピンで出生しフィリピン国籍を取得した控訴人ダイチは、出生後3ヶ月以内に国籍留保の届出をしないと日本国籍を失うことを知らなかったことが明らかである。
 以上より、丸山は、法12条の制度を知らず、かつ控訴人ダイチはその出生とともに当然に日本国籍を取得したと考え、これを保持し続けるために何らの特別の手続も必要であるとは考えていなかったことが明らかである。

(3) 控訴人ヒロコのケース(甲52)
ア 事実関係
 控訴人ヒロコは、石山博美とアナベル・フェルナンデス・イシヤマとの間の嫡出子として、1990年4月4日にフィリピンにて出生した。
 石山は、控訴人ヒロコの出生当時、生業に多忙であり、また法12条の制度を知らなかったため、控訴人ヒロコの出生後3ヶ月以内に出生届を在マニラ日本大使館に提出しなかった。
 石山は、控訴人ヒロコの出生から3ヶ月と1週間が経過した同年7月11日に、在マニラ日本大使館を訪れ、備え付けの出生届出用紙に必要事項を記載し、「日本国籍を留保する」との欄に署名をして窓口に提出した。しかし担当官から、控訴人ヒロコの出生から3ヶ月を経過しているので受け付けられないと言われて出生届を返戻された。
 石山はこの時初めて、法12条の国籍喪失制度を知ったのである。
 なお、石山と妻アナベルの間には、1991年11月10日に次女智恵子マリーが出生したが、石山は同女の出生後3ヶ月以内に在マニラ日本大使館に出生届及び国籍留保届を行ったため、同女は日本国籍を保持している。
イ 石山の認識内容
 上記の経緯に照らし、石山が控訴人ヒロコの出生後その出生を在マニラ日本大使館に届け出て、これを経由して石山の戸籍に控訴人ヒロコを嫡出子として記載させる意思を有していたことは明らかである。
 また、石山が控訴人ヒロコに日本国籍を保持させる意思を有していたことは、その後次女として生まれた智恵子マリーについて国籍留保の届出をしていることからも明らかである。
 そして、石山が法12条の制度を知らなかったことは、届出期限のわずか1週間後に在マニラ日本大使館に出生の届出をしようとしたこと、その際出生後3ヶ月を徒過していることについて何ら問題があると認識していなかったこと、から明らかである。
 以上より、石山は、法12条の制度を知らず、かつ控訴人ヒロコはその出生とともに当然に日本国籍を取得したと考え、これを保持し続けるために何らの特別の手続も必要であるとは考えていなかったことが明らかである。

(4) 以上の通り、控訴人らのうちの代表的なケースを見ても、日本人父らが法12条の制度を知らず、生まれてきた自分の子は当然に日本国籍を有していると信じ、かつ何らかの手続を執らないとその日本国籍が失われてしまうなどとはみじんも思っていなかったことが明らかである。そして、これが多くの日本人の通常の認識なのである。

5 原判決に対する批判(その1)
(1) 前述の通り、原判決が、国籍留保の意思表示をしなかった子が日本国籍を喪失することの根拠をどのように考えているかは明らかではない。そこで、ここではまず、親が国籍留保の意思表示をしないことによる子の国籍喪失の根拠を、「子に日本国籍を保持させない」という親の意思に求める考え方について、かかる考え方に基づいて留保の意思表示の有無によって国籍の保持又は喪失という差別的取扱をすることが、立法目的との間に合理的関連性を有するか、を検討する。

(2) 既に見たように、生来的な日本国籍の取得については、「日本国民の子として出生した事実によって当然に日本国籍を取得する」というのが日本人の常識的な理解であり、かつ法12条は一般に周知されていないため、日本国内で出生した場合と国外で出生した場合とで日本国籍の取得ないし保持の要件が異なる、ということも知られていない。したがって、「日本国民の子として出生した者は、出生後にその国籍を保持するために届出など何らの手続を要せず、当然に日本国籍を保持し続けることができる」というのが一般の社会通念である。
 このような社会通念を有する一般的な日本国民と、外国籍の配偶者との間の子が国外で出生したとき、当該親は、生まれた子は当然に日本国籍を有すると考えている。しかも当該親は、法12条の制度を知らず、かつ日本国籍の保持のために何らかの手続を行うことを要するとは考えていないから、子の日本国籍を留保する旨の意思表示も行われない。
 このような場合に、親が子の日本国籍を留保する旨の意思表示を行わないことをもって、「子の日本国籍を保持させない」という親の意思の表れであると見ることが、一般の社会通念及び経験則に照らして正常ではない、むしろ逆転した理解であることは、上述したところから明らかである。したがってまた、国籍留保の意思表示をしないことによる子の国籍喪失の根拠を、「子に日本国籍を保持させない」という親の意思に求めるという考え方が我々の一般の社会通念及び経験則に反した考え方であることも明らかである。
 親が法12条の制度を知っていたという場合を除き、子の出生後に親がその子の日本国籍保持のために何らの届出もしないということは、その日本国籍を保持させる意思がないということではなく、その日本国籍を保持させるために何らかの手続が必要であるとは考えていないからである。
 上述した、控訴人ダイチの父丸山が、妻との婚姻前に出生した4人の子の認知届と控訴人ダイチの出生届を同時に提出しようとしたこと、控訴人ヒロコの父石山が、届出期限をわずか1週間経過して出生届及び国籍留保届を提出しようとしたこと、などを見れば、これらの父親が子らの日本国籍について、その出生により当然に国籍を取得したものと考えていたこと、子が日本国籍を保持し続けることを望んでいたこと、そしてその国籍を保持するために特別の手続が必要だとは知らなかったこと、が明らかである。そしてこれらの父親のそれぞれの行動はごく自然なものとして納得できるものである。

(3)ア 日本人親が国籍喪失制度を知らなかったために国籍留保届をしなかった場合には、子の日本国籍を保持させないという親の意思を読みとることはできない、との原告らの主張に対し、原判決は、「そもそも親が子の出生の届出すらしようとせず、それゆえに国籍留保の意思表示をしない結果となることをもって、日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして扱うことは不合理ではない」と判示する。その理由として、出生届と国籍留保届が実質的に一体化し留保届が手続上容易であることや、親が子の出生の届出義務を負うこと、戸籍に記載されることが子の人生に重大な影響を与えると一般に認識されていること、日本との繋がりを確保しようとする親は出生届をしようと考えること、等を挙げる(原判決15頁)。
イ 確かに出生の届出をしないと戸籍には載らず、また親は子の出生後一定期間内にその届出をすべき義務を負う(戸籍法49条1項)。しかしながら、戸籍に載らないから日本国籍を保持できない、と考えている親はいない。また、届出期間を徒過すると出生届は受理されず戸籍に載らない、と考えている日本人はおらず、届出期間を徒過した場合に届出義務者である親のペナルティだけでなく本人である子どもも(国籍を喪失するなど)法律上不利益な取扱いを受けるとも考えていない。
 前述の通り、そもそも日本人親は、日本人の子として出生したという事実のみで子は日本との繋がりを有し、日本国籍を取得すると考えているのである。少なくとも日本で生まれた子について、一定の期間内に出生届をしないと日本との繋がりが否定され当然に日本国籍を失う(すなわち一定期間内の出生の届け出と国籍の保持が連動している)、と考えている日本人は存在しないであろう。にもかかわらず、出生地が日本から国外に変わっただけで、「一定の期間内に出生届をしないと日本との繋がりを失う、と考えるのが普通の日本人である」とする合理的な根拠はない。
ウ 原判決は、「出生届を出して戸籍に子の氏名や親との続柄等が記載されることがその後の子の人生にとって重要な意味を持つことは一般的な常識として認識していると解されるのであって、子を日本の戸籍に載せることにより日本との繋がりを確保しようとする日本人の親であれば、出生届を提出すると考えられる」とし、これとの対比で「出生の届出すらしようとせず、それゆえに国籍留保の意思表示をしない結果となることをもって、日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして取り扱うことは不合理ではない」と判示する。
 確かに、出生の届出をしなければ子の氏名や親との続柄等が戸籍に記載されず、戸籍を見る限りその子の存在も判明せず、戸籍のない子としてその子の人生に重大な不利益を及ぼすこととなる。しかしながら、大多数の日本人は、届出期間内に子の出生の届出をしないと戸籍に子の氏名や親との続柄等が記載されない、とは考えていない。
 そしてまた実際にも、日本国内で出生した子や外国で出生し外国籍を取得しなかった子については、届出期間を徒過した出生届も当然に受理され、その出生の事実及び氏名、親との続柄等が親の戸籍に記載される。
 このように、一般には「出生の届出をしなければ戸籍に載らない」と理解されており(それ自体は当然のことである)、「届出期間内に出生の届出をしないと戸籍に載らない」とは理解されていない(しかもそのような取扱いもなされていない)のである。
 したがって、届出期間を過ぎていても、出生の事実を届ければ、子の氏名や親との続柄等が間違いなく戸籍に記載される、と考えるのが一般的な社会通念である。
エ したがって、親が届出期限内に出生の届出をしないことが子の日本との結び付きを希望しないとの親の意思の表れである、との経験則は存在しないのであり、また期限内に出生の届出をしないという事実から子の日本国籍の保持を希望しないとの親の意思を推認することもできない。
オ なお、戸籍法は出生の届出について国内出生子と国外出生子とを区別していない(戸籍法49条以下)。したがって、法12条の対象となる子の出生についても国内出生子と同様に戸籍法が適用されるならば、本来は、戸籍法104条1項の期間を過ぎても親は出生の届出義務を負い、この期間を過ぎてなされた出生の届出も当然に受理されなければならないはずである。そして、戸籍の記載内容については戸籍法13条、戸籍法施行規則30条、同35条に列挙されているところ、日本国籍を有しない子の出生に関する記載は施行規則30条及び35条を改定することによって可能となるのであり、これによって親の戸籍に子の氏名や続柄等が記載されることになる。
 このように、法12条の対象となる子についても、戸籍法が原則通りに適用され、かつ戸籍制度の公証性を確保するための一定の改定がなされれば、法12条によって日本国籍を喪失した子も親の戸籍に記載されるのであり、このことは、届出期間内の届出の有無と戸籍への記載が必然的な関連性を有しないことの証左である。
 しかるに、現在の戸籍実務は、戸籍法52条1項の規定にも関わらず法12条の期間経過後の出生の届出を受理せず、かつ日本国民の嫡出子で日本国籍を喪失したものの戸籍への記載に関する施行規則の改定を行わないために、法12条の対象者が日本人親の戸籍に記載されないという事態が生じているのである。この点は、日本人父が外国籍の子を認知した場合にその認知の事実、認知された子の氏名、国籍、生年月日、母親の氏名等が日本人父の身分事項欄に記載されることと対比するならば、その不当性はいっそう顕著である。
 このように、法12条により日本国籍を喪失した者が日本人親の戸籍に記載されないのは、その者が日本国籍を喪失したからではなく、その者の存在を戸籍に記載しないような戸籍制度の設定及び戸籍実務の運用が行われているからなのである。

(4) 子の日本国籍の保持又は喪失の根拠を「子に日本国籍を保持させる」又は「子に日本国籍を保持させない」という親の意思に求める考え方に立つ場合、「国籍留保の意思表示をされた子は、その親が子の福祉や利益の観点から日本との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことが相当であると判断したものと考えられるのであるから、類型的に我が国との結び付きが強いものということができ」る(原判決14頁)のと裏腹に、国籍留保の意思表示がされなかった子は、その親が子が日本との結び付き保持することを望まなかったものと考えられるから、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高い、ということなる。この場合には、国籍留保の意思表示の有無によって国籍の保持又は喪失という差異を生じさせる取扱と、その立法目的との間には合理的関連性がある、ということになる。
 しかしながら、親が国籍留保の意思表示をしなかったことによる子の日本国籍の喪失の根拠を「子に日本国籍を保持させない」という親の意思に求める、というこの考え方が一般の社会通念に照らし誤りであることは、詳述したとおりである。国籍喪失制度を知っていて、積極的に国籍留保を選択した親と、国籍喪失制度を知らず、それゆえに何も選択をしていない親とを対比して、前者の子は日本との結び付きが類型的に強いが、反対に後者の子は日本との結び付きが弱く、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高い、とする原判決の論理は、出生による国籍取得に関する我々の一般的な社会通念に反し、経験則上も誤りである。
 したがって、国籍留保の意思表示の有無は、子に国籍を保持させるか否かに関する親の意思の判断基準とならず、国籍の実効性の有無の判断基準ともなり得ないのであるから、国籍留保の意思表示の有無による差別的取扱は、立法目的との間に合理的関連性を有しない。

6 原判決に対する批判(その2)
(1) それでは次に、国籍留保の意思表示をしないことによる子の日本国籍の喪失の根拠を、端的に国籍留保届という行為がなされなかったという客観的・外形的事実に求める考え方について、かかる考え方に基づいて留保の意思表示の有無によって国籍の保持又は喪失という差別的取扱をすることが、立法目的との間に合理的関連性を有するか、を検討する。

(2) 既に詳しく論じたとおり、一般的な社会通念の下では日本国籍は日本国民の子として出生したという事実をもって当然に付与されると考えられており、しかも法12条が一般に周知されていないことの結果、配偶者の国籍や出生地に関わらず、出生によって子が取得した日本国籍を保持するために何らかの特別な手続が必要であるという認識は一般に共有されていない。
 したがって、国籍留保の意思表示をした親が子に日本国籍を保持させるとの判断をしたものと理解される一方で、国籍留保の意思表示をしなかった親も同様に、子に日本国籍を保持させることを(当然のこととして)予定し期待していたものということができる。
 このように考えた場合、国籍留保をした者としなかった者との違いは何かというと、端的に法12条の制度を知っていたか否か、の違いだけである。すなわち、法12条の制度を知っていた親は、国籍留保届をしなければ子の日本国籍が失われると考えて留保届を行うが、法12条の制度を知らない親は、国籍留保届をしないと子の日本国籍が失われるなどとは思ってもいないために、何らの届出も行わないのである。
 言い換えれば、国籍留保の意思表示の有無により国籍の保持又は喪失という差別的取扱をすることの実質的な意味は、親が法12条の制度を知っていて国籍留保の届出をした場合には子は日本国籍を保持しうるが、親が法12条の制度を知らなかったために国籍留保の届出をしなかった場合には子は日本国籍を喪失する、ということである。

(3) 確かにこのような考え方に立てば、親が国籍喪失制度を知らなかったために国籍留保届をすることができず、そのために子が国籍喪失することは当然のことであり、何ら問題はないということになる(但し、この考え方を前提とすると、原判決が「出生の届出すらしようとせず、…日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして取り扱うことは不合理ではない」と判示しているのは、既に指摘したように論理が整合しない)。

(4) しかしながら、同じく親が子に日本国籍を保持させることを希望しているという事案の間で、親が法12条の制度を知っているか否かによって国籍の保持又は喪失という差別的取扱が生じることには、その立法目的との間に合理的関連性があるとは到底言い難い。
 また、この考え方は親が法12条の制度を知っていたか否かという極めて偶然的な事情によって子の国籍の得喪が左右されるものであり、この点からも立法目的との間に合理的関連性があるとは言い難い。
 あるいはかかる原判決の判断の基礎には、「法の不知は害する」との法格言が存在するのかも知れない。しかしながら、原判決の考え方によれば、日本国籍を喪失するか否かはその国籍が実効性を欠き形骸化しているか否か(あるいは実効性を欠き形骸化する可能性が高いか否か)によって決まるはずであるが、親が国籍喪失制度を知っているか否かはこのような国籍の形骸化とは全く無関係であり、親の法の不知を理由に子の日本国籍を喪失させることには合理的な根拠がない。また、親の法の不知を理由にしながら、親の不利益ではなく、親とは別の人格である子の、しかも極めて重大な法的地位である国籍を喪失させるという点も、全く合理性を欠くものである。

(5) よって、国籍留保の意思表示をしないことによる子の日本国籍の喪失の根拠を、端的に国籍留保届という行為がなされなかったという客観的・外形的事実に求める考え方に立脚した場合であっても、やはり国籍留保の意思表示の有無によって国籍の保持・喪失に差別的取扱を行うことは、立法目的との間で合理的関連性を有しないものというべきである。

7 原判決に対する批判(その3)−届出期間に関する判示について
(1) 原判決は、国籍留保の意思表示の期間を出生後3ヶ月以内としている点について、「国籍の生来的取得が認められるか認められないかが不確定な状態が長期間にわたって続くことは望ましくなく、国籍の生来的取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましい」として最判平成14年11月22日を引用し、また「親の届出行為の期間は、出生後できるだけ短い期間とすることが本来は望ましい」ことも挙げて、短すぎるとは言えない、と判示する(原判決17頁)。

(2) 出生届が出生後できるだけ短い期間に行われるのが望ましいことは否定しない。しかしながら出生届は出生という事実の報告的届出であるのに対して、国籍留保届とは理論的には「留保する」「留保しない」のいずれの届出もあり得、それは子の国籍を保持するかしないか、という法的効果を伴った意思表示であって、出生届と国籍留保届は法的には全く性格の異なる行為である。
 したがって、出生届と国籍留保届が同時になされるべき必然性は存在しないのであり、法12条を前提にしても、出生届と国籍留保届を別個の届として別々の手続で行うという制度設計をすることは十分可能である。
 よって、「出生届は出生後できるだけ短い期間に行われるのが望ましい」ことが国籍留保届の届出期間を出生届の届出期間と同一とすることの合理性を根拠付けるものとはなり得ない。

(3) また、原判決が「国籍の生来的取得が認められるか認められないかが不確定な状態が長期間にわたって続くことは望ましくなく、国籍の生来的取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましい」として、本件において最判平成14年11月22日を引用するのは明らかな誤りである。
ア 同最判は、日本人父と外国人母の非嫡出子として生まれた上告人が、出生後に日本人父から認知を受けたことを理由として(民法784条の認知の遡及効を根拠に)法2条1号により出生時に遡って日本国籍を取得したと主張したのに対し、「法2条1号が、子が日本人の父から出生後に認知されたことにより出生時にさかのぼって法律上の父子関係が存在するものとは認めず、出生後の認知だけでは日本国籍の生来的な取得を認めないものとしていることには合理的根拠があるというべきである。」と判示した。これは、法2条1号の国籍の生来的取得の場面における民法784条の遡及効を否定したものである。
 同最判は、その実質的な根拠として「生来的な国籍の取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいところ、出生後に認知されるか否かは出生時の時点では未確定である」ことを指摘しているのである。
 上記事件の上告人は、出生時には外国人母の子として外国籍のみを有しており、その子の父親が誰なのかは外部からは必ずしも明確ではなく、もしその父が日本国民であるとしても果たして法律上の親子関係が成立するのか、成立するとしてもそれはいつか、は全く予測不可能である。上記最判が「出生後に認知されるか否かは出生時の時点では未確定である」と判示するのは、このような全く予測不可能な状況を前提としているものである。
イ これに対し、法12条の対象者である国外出生重国籍児は、出生時に既に外国籍と共に日本国籍を(法2条1号によって)取得している。確かに、国籍留保の意思表示の期間が経過するまでは、国籍留保の意思表示がなされて日本国籍が保持されるか、意思表示がなされず出生時に遡って日本国籍を失うかは不確定であるが、その期間、子が日本国籍を有することは法律上明らかである(国籍留保の意思表示の期間が例えば1年程度の期間であった場合を想定すれば、その間の子の国籍の状態については容易に理解できよう)。したがって、日本国籍を取得するか否か、取得するとしていつ頃か、が全く不明である上記最判の事案とは全く事実関係を異にするのである。
ウ ところで、判例及び国籍実務は、上記のように日本人父による出生後認知を根拠として非嫡出子がその出生時に遡及して国籍を生来的に取得することを否定するが、その一方で、日本人父との親子関係不存在確認判決が確定したこと等による子の日本国籍の喪失については、子の年齢にかかわらず、「出生時に遡って日本国籍を喪失する」という取扱を一貫して行っている。
 このような扱いがなされている事実を考えるならば、国籍喪失制度においても国籍留保の意思表示の期間を相当程度の長さとして、その間に国籍留保の意思表示がなされない場合に、その期間満了の時に日本国籍を遡及的に喪失させることに、理論的及び実務的な問題はないということができるのであり、「出生後3か月」という短期間に限定する理由はない。
エ 日本国民として出生の届出がなされれば、その者は戸籍に記載され、その後時間の経過に伴い、日本国民たる地位を前提として、婚姻や家族の形成といった様々な身分関係を形成し、また就労や財産の取得といった権利義務関係も形成することになる。ところが、日本人として長い年月を暮らしてきた後に、日本人父との親子関係不存在確認判決の確定等によって子が日本国籍を出生時に遡って喪失すると、当人の戸籍は抹消され、婚姻要件や養子縁組の要件などによっては身分関係にも変動が生じ、さらには国籍による就労制限・財産取得制限に抵触するなどの問題も生じる可能性が生じるなど、本人の身分関係や権利義務関係は重大な変動をもたらし、本人自身やその周囲の人々も多くの不利益を被ることになるおそれがある。その端的な例は、本人が出生時に遡って外国人となり、かつ出生後30日を経過しているために、在留資格取得許可申請(出入国管理及び難民認定法22条の2第2項)を行うこともできず、非正規在留となって退去強制処分の対象となる(入管法25条7号)可能性が生じることである。
 しかるに、今日の国籍実務の取扱いは、このような事態をも容認するものである。
オ これに対し、外国で出生し、未だ日本国に出生の届出をしておらず、その者を記載した戸籍も編成されておらず、実際の生活においても日本国籍を前提とした権利義務関係が形成されていない者について、一定の期間が経過した後にその者の日本国籍を遡及的に喪失させたとしても、「戸籍に記載され、日本国民として生活してきた者が遡及的に日本国籍を失う」という上記の例より以上に重大な問題を惹起するとは考えられない。
 例えば、国籍留保の意思表示の期間を本人が20歳になるまで、と定めたとしても、日本国外で出生し、20年間国外に居住し、その間日本国民として身分関係や権利義務関係を形成したことのない者について、出生から20年を経過した後に(国籍留保の意思表示がないことを理由に)日本国籍を遡及的に喪失させても、上述した「日本人父との親子関係不存在確認判決の確定により日本国籍を遡及的に喪失した者」よりも重大かつ深刻な問題が生じるとはおよそ考えがたいのである。
カ 以上より、出生後わずか3か月で国籍を喪失させることの必要性の論拠として最判平成14年11月22日を挙げる原判決は誤りであるとともに、国籍留保の意思表示の期間を係る短期間とする必要性も存在しないものである。

(4) 前述したとおり、出生届と国籍留保届は法的性質が全く異なる行為であるから、両者を同一時期に一体として行わなければならない必然性はない。また、留保の意思表示をしないことによる国籍喪失の効果を出生時に遡らせることにも理論的な必然性はない。したがって、立法政策上の選択肢としては届出期限を延長し(諸外国の立法例には本人が成人した後さらに一定の熟慮期間を置いた上で留保するか否かを判断させる、という制度が存在するとされる)、その上で留保の意思表示がなされないことをもって将来に向かって日本国籍を喪失する、という制度に改変することも可能である。
 そしてこのような制度であっても、具体的な弊害は発生しない。なぜならば、本人の出生が日本政府に届けられていなければ、当該本人は現実には日本国民として取り扱われず、本人も外国人として行動し、外国籍を有することを前提に権利義務関係や身分関係を形成していく。そして成長し一定の年齢に達したときになお日本の国籍を保持する意思を表明しないとして遡及的に日本国籍を喪失させたとしても、それまで日本国民として振る舞い、権利義務関係や身分関係を形成してはいないのであるから、日本国籍の遡及的消滅による弊害は発生しないのである。

(5) 以上より、「国籍の生来的取得はできる限り子の出生時に確定的に決定されることが望ましいとされる」ことを理由に、国籍留保の届出の期間を出生届と同じ3ヶ月と限定していることに合理的な根拠があるとは言い難い。

8 原判決に対する批判(その4)−子の意思を問わないとすることの問題
(1) 原判決は、子本人ではない親の国籍留保の有無によって子の国籍の得喪が左右されるとの問題に対し、国籍の生来的取得において子の意思が考慮されることは基本的にあり得ない、と判示する。
 しかしながら、前述したとおり、そもそも法12条は国籍喪失制度である。したがって、国籍を喪失する本人の意思を無視することは許されない。

(2) 上記の点をおいても、子の意思を問う必要はないとする原判決の判断には、致命的な問題が存在する。
ア 原判決は、「親は、通常、子の出生後、その子が成熟するまで、養育看護すべき立場にあり、どの地をその子の生活の本拠とし、どのような文化に親しませ、どのような習俗、行動様式を身に付けさせ、どのような公共生活への参加をさせ、どのような教育をしていくのかについて、絶えず強い関心を持ち、大きな影響を及ぼし続ける存在であると考えられるから、意思表示をすることができない出生直後の子に代わって、その父母等の国籍留保の意思表示の有無により国籍の得喪が決定されることは一つの合理的な方法であるということができる。」(原判決16頁)と判示する。
 要するに、原判決は、子の意思を考慮しない代わりに子の利益を代表する親が子の福祉と利益を考えて判断するから問題ない、とするものである。
イ しかしながら、既に何度も述べているように、我々の一般的な社会通念によれば日本国民の子として出生した者は当然に日本国籍を取得し、かつ何らの手続も要せず当然にこれを保持するものと考えられているのであり、かつ具体的には法12条の制度を知らないがために、国外出生時の親は、国籍留保の意思表示という方法で「子に日本との繋がりを保持させる」という判断を積極的に外部に表明することをしていないのである。
 このような事情によって親の選択ないし判断が国籍留保の意思表示という形で外部に表明されていない場合に、親が子に代わってその福祉と利益を考えて判断したとして、子に不利益な結論を導くことが合理的であるとは到底言い難い。
ウ この点は、法18条が規定する法定代理人による届出等と対比して考えれば明らかである。
 法18条は、一定の届出行為を列挙し、本人が15歳未満であるときは法定代理人が代わってする、と規定している。子が判断できない場合には、実質的には法定代理人の判断によって子の国籍に関する地位が変動することを許容するものである。国籍の得喪という本人の重要な法的地位の変動に関する行為を本人ではなく法定代理人の判断に委ねることが許容される根拠は、まさに原判決が指摘するように、この利益を代表する親が子の福祉と利益を考えて判断すると考えられる点にある、ということができる。
 しかしながら、同条はあくまで、積極的な届出行為等によって子の国籍を変動させる場合について法定代理人の代理権を認めたものである。そこでは、法定代理人の意識的かつ積極的な選択と判断があることが当然の前提となっている。法定代理人の知らないうちに、法定代理人が一定の行為をしなかったことにより子の国籍に変動を生じさせる、いわば「不知による不作為の代理行為」を認めるものではない。このような「不知による不作為」は、子の福祉と利益を考えた判断したと評価し得ないからである。
 然るに、法12条はまさにこの「不知による不作為の代理行為」を認めるに等しいのであり、その不合理性は明らかである。

(3) 原判決は、法12条による国籍の喪失において本人の意思が考慮されないことが許容されることの理由として、法17条の再取得制度の存在を指摘し、「日本に住所を有するという日本とのつながりがある子については、子自らの意思によって国籍を取得できるのであって、子の意思が反映されるこのような救済制度が整備されている」と判示する(原判決16頁)。
 しかしながら、法17条は要するに子が未成年の間に日本に住所を有することを要求するものであり、社会的にも経済的にも未だ自立していないか、あるいは生活基盤が確立していない若年者が自らの意思でその居住国ではない日本に渡航し、生活基盤を形成することは決して容易ではない(本件控訴人らの国籍国であるフィリピンの成人年齢は18歳であるが、社会的・経済的基盤が形成されていない点は同様である)。「未成年のうちに日本に来ればいいのだから本人に選択肢はあり救済制度が設けられている」との原判決の判示は空論と言わざるを得ない。
 この点は、昭和59年改正時に既に以下のような指摘がされている通りである。
 「未成年者が日本で住所を設けようと思いますと非常に経済的負担が大きいですし、また入国の関係から考えますと、未成年者が日本に入ってくる場合に、例えば観光ビザで入ってきました場合に、それによって外国人登録をすると言うことも考えられましょうけれども、そういう形で住所と認めてらえるのだろうかと思うのです。もしそれができないと、普通考えるとそれは住所じゃないと言いたいところでございますが、そうしますと、そういう人たちはどういう形で日本に入ってきたらいいのか、まず国籍を再取得する前にどういう形で日本に入ってくるのかということが問題になると思います。そういうことまで考えて、そして未成年者が日本の国籍を再取得しやすいようにということが、住所を要求しますと非常に困難になるのではないかと思います。そういう点で、「日本に住所を有するとき」ということは不適切であるというのが私どもの意見です。」(乙6の5・6頁4段目乃至7頁1段目・伊藤すみ子参考人の発言)

(4) 原判決は、国籍の生来的取得において子の意思が考慮されることは基本的にあり得ない、と判示する。しかしながら、法12条が生来的取得に国外出生+重国籍という事情を考慮して親の国籍留保の意思表示という要件を加味し、それによって国籍取得に制限を加える、ということを行っていることを考えれば、生来的取得に子の意思という要素を加味することも立法政策として十分に可能であり、「あり得ない」との判示は何らの根拠もない。そして、子が自らの判断で日本国籍を保持するか否かを判断できる年齢に達するまで猶予するために、国籍の生来的取得が成立するか否かの確定が遅くなったとしても、前記7(3)エで述べたように、特段の弊害は発生しないのである。

9 結語
 以上の通り、国籍留保の意思表示の有無によって日本国籍の保持又は喪失という差別的取扱を生じさせることは、法12条の立法目的に照らして合理的関連性があると言い難いのであり、この点で法12条は憲法14条1項に反するというべきである。

控訴理由書その2

控訴理由書その2は20ページから45ペ−ジまでです。
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第3 「実効性がない形骸化した日本国籍の発生の防止」という立法目的の合理性

1 国籍の実効性を問う立法目的が特異なものであること
 原判決は、「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高いためそのような実効性がない形骸化した日本国籍の発生をできるだけ防止する」(以下、「実効性論」ともいう)ことが法12条の立法目的の一つである、とする。
 これに対し、第2、1、(1)で指摘したように、最判平成14年11月22日及び最大判平成20年6月4日は、法2条1号及び法3条1項による国籍取得は、血統主義に基づくもの、あるいは血統主義を補完するものであることを明言しており、そこでは生来的に取得した日本国籍あるいは届出によって後発的に取得した日本国籍が実効性を有するか否かをさらに問う、という観点は一切存在しない。
 このように、国籍の取得に当たってその「実効性」を問い、「実効性」を欠く国籍はその取得を認めない、という立法目的は、国籍法全体の中でも法12条に特有のものである。

2 原判決における「実効性論」の合理性の根拠
 原判決は、法12条のかかる立法目的に合理性が認められる根拠として、「国籍は、…本来、国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」り(原判決7頁)、「実効性のない形骸化した国籍の発生を防ぐということは、国籍の本質に関わる重要な理念である」(原判決8頁)と判示する。
 原判決はまた、「国家とそのような真実の結合関係のない者に対して国籍が付与されるならば、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないことになるとともに、国際法的に見ても、形骸化した国籍を有する者に対して、国家が外交保護権を行使することが許されるかなどの種々の問題が生じることになる」と判示し、ノッテボーム事件に対する国際司法裁判所の1955年4月6日判決を指摘する。
 そこで、原判決のいう「国家との真実の結合関係」とは何か、原判決が指摘する弊害論の具体的な内容、法12条の適用対象者に限ってのみ国籍の「実効性」を要求する理由は何か、について検討する。

3 「国家との真実の結合性」とは何か
(1) 先に指摘したとおり、原判決は、「国籍は、…国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」ると判示する。
ア 国際法上、国籍は「国家との真正な結合関係を有する者に付与される」との理解が定着している。すなわち、国際司法裁判所は、1955年のノッテボーム事件判決において、「国家慣行、仲裁裁判および司法裁判の判決ならび学者の意見によれば、国籍は、結付きという社会的事実、つまり、権利・義務の相互性と接合された生存、利害及び感情の真の連帯性を基礎とする法的きずなである」と判示している(甲57(皆川判例集)・487頁)。かかる理解は、1997年ヨーロッパ国籍条約2条a号(「国籍」とは、ある者と国家との法的紐帯をいい・・・」)にも現れている(乙12・1212頁)。原判決が「国家との真実の結合関係」としているのも同じ趣旨と解される。
 しかしながら、国際法上言われる「国家との真正な結合関係」とは、ある国では血統であり、またある国では地縁である。すなわち、法制度としての血統主義又は生地主義が「国家との真正な結合関係」の有無を判断する指標とされているのであり、血統主義国においてはその国の国籍を有する親の子として出生することが、また生地主義国においてはその国の領土内で出生することが、その国との「真正な結合関係」の証明となり国籍付与の根拠となるのである。このことは、歴史的に、世界各国が血統主義ないし生地主義を自国の国籍付与要件として定めてきたという社会的事実から明かである。
イ 日本の国籍法について見るならば、法2条1号が規定する(父母両系)血統主義が生来的国籍取得の基本原則であることは異論のないところであり、上記各最高裁判決もそれぞれその旨を明言している。したがって、日本の国籍法は、日本人親の子として出生したことを以て、「日本との真正な結合関係」を有するものとし、その者に日本国籍を付与するものである。
ウ 本件原告らを含む法12条適用対象者は、いずれも日本人親の子として出生した者である。日本の国籍法は、この事実をもって、既に日本との「真正な(あるいは真実の)結合関係」を有するとするのであり、さらに何らの要件も付加されることなく日本国籍を取得する(そして当然これを保持する)はずのものである。
エ したがって、「国籍は、…国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」るとの原判決の判示は、国外出生重国籍児に対してさらに国籍の「実効性」を要求することの根拠たり得るものではない。

(2) ところで、原判決は「実効性のない形骸化した国籍の発生を防ぐということは、国籍の本質に関わる重要な理念である」(原判決8頁)と判示する。しかしながら、この「国籍の実効性」が日本の国籍制度において問題とされたのは、国籍法制の歴史の中ではごく最近のことである。
ア 旧国籍法時代の国籍喪失制度(20条の2)は、日系移民の排斥運動を阻止し移住先現地への定着と同化を促進することが目的であるとされ、また改正前現行法時代の国籍喪失制度(9条)も生地主義国で出生したことにより外国籍を取得した者を対象としていたにもかかわらず、旧国籍法から改正前現行法に至る国籍喪失制度の変遷の過程で、実効性論が示されたことはない。
イ また、昭和59年改正は、昭和56年10月30日に法務大臣から国籍法の改正の要否について諮問を受けた法制審議会が検討を開始したことによってスタートし、昭和58年2月1日に、国籍喪失制度を維持するA案とこれを廃止するB案を併記したいわゆる中間試案の公表によって改正案が初めて具体的に提示されたが、この時にも国籍喪失制度の立法目的として実効性論が提唱された事実はない。
 すなわち、中間試案の公表後、昭和59年2月23日に法制審議会が国籍法の一部を改正する法律要綱案を採択して法務大臣に答申し、同年3月28日に国籍法改正案が国会に提出され、4月25日に衆議院本会議で、5月18日に参議院本会議で、それぞれ可決し、成立した、という経緯をたどったが、この過程における国籍喪失制度に関する論議を見ると以下の通りである。
① 昭和58年4月15日発行の甲33・52頁第2段冒頭では、「現行法における重国籍解消のための最も重要な定めである国籍留保について、中間試案は、存続と廃止の両案を併記している。」としている。
② また、昭和58年7月30日発行の甲34・14頁は、「現行法上重国籍解消の機能を果たしている留保制度をいかにするかにつき制度の拡張論と廃止論とを併記した」としている。
③ 昭和58年3月発行の甲35・26頁は、戦前の国籍喪失制度は日系移民排斥運動が背景にあったことを指摘した上で、「最近では、戦前のような異常な状況下にはないが、この制度が我が国の移民の外国への定住を促進している面は否定できないであろうし、また、実際の社会生活の中で、日本国籍との重国籍になっていることによる不利益を受ける可能性が残されているとすれば、この制度もその回避の効用を果たしているであろう。」としている。
④ 昭和58年5月15日発行の甲36・77頁第4段末尾乃至78頁において、「「留保」は試案の第四の二ですが、…重国籍の発生自身をできれば出生時において防止するという観点から考えられるもう一つの重国籍対策かと思います。」としている。
 以上の通り、中間試案の公表とその内容を巡る論議の過程においても、「国籍喪失制度は実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生を防止しあるいは解消することを目的とした制度である」という説明は一切なされていない。このような説明が行われるのは、昭和59年2月23日の改正法律要綱案発表以降のことである。
ウ このような論議の経過を見れば、国籍喪失制度における「国籍の実効性」という立法目的は、昭和59年改正以前はもとより、同改正作業の過程でも昭和59年2月の法律要綱案の策定までは立法担当者の念頭には全く存在しなかったことが明らかである。しかも、昭和58年2月の中間試案公表後、翌59年2月の法律要綱案の策定に至るおよそ1年間の間に、実効性論がどのような経緯で発案され、どのような議論を経て新たな立法目的として承認されるに至ったのか、その経緯は明らかではなく、わずかに国会答弁等から「ノッテボーム事件判決に着想を得た」ことがうかがわれるのみである(しかもこのインスピレーションが誤りであることは後述するとおりである)。この立法目的が、原判決が言うように真に「国籍の本質にかかわる重要な理念である」のか、重大な疑問があるものと言わざるを得ない。

4 国内法上の権利義務の行使あるいは履行に関する看過し難い重篤な事態について
(1) 原判決は、「国家と真実の結合関係のない者に対して国籍が付与されるならば、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないことになる」「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」と判示する。
 しかしながら、そもそも原判決が指摘する「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行」とは具体的にどのような権利義務を想定しているのか、全く不明である。また、「国内法上看過しがたい重篤な事態」というのも、具体的にどのような事態を想定しているのか、全く明らかではない。要するに、原判決が懸念を示す弊害はあまりにも抽象的・観念的であり、現実的・具体的な弊害とは言い難いのである。
 また、後述するように、日本国外で出生し、法3条1項によって日本国籍を取得した後も国外で生活するケースや、法12条の国籍留保届をした後も国外で生活するケースにおいても、国内法上の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないという事態が生じることは容易に推測される。しかるに原判決はこれらの事態が「国内法上看過しがたい重篤な事態」であるとは捉えていないのであるが、何故に法3条1項により日本国籍を取得しその後も国外に居住する者や、国籍留保した後も国外に居住する者について生じる「国内法上の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないという事態」は看過し得るのに、法12条の留保届を行わなかった者についてだけ、かかる事態が看過しがたい重篤な問題であるとされるのか、その根拠は全く不明である。

(2) 国家との実質的な結合関係が認められず、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞る現実の例として、戦前・戦中に外国に移住し、戦後日本に帰国せず(または帰国できず)、日本人親の戸籍にも記載されず、当該外国で生活を余儀なくされた、いわゆる残留孤児のケースがある。
 残留孤児は日本人父の子として外国で出生し、旧国籍法20条の2の国籍喪失制度の対象者ではないために、出生によって日本国籍を取得したが、その出生が日本に届けられないまま終戦を迎え、あるいは外国人親に引き取られ、あるいは日本人として名乗り出ることができなかったために、その出生国の国民として長年生活してきた。その間、日本国とは全く接触を持つことができず、原判決の判示するところに従えば、「国家と真実の結合関係」は全く存在せず、「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行」は全く不可能であり、「その権利義務の実効性」は全くなかった。したがって、原判決によれば「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」はずである。
 しかるに、現実には、今日、残留孤児の日本国籍を復活させることに何らの支障もない。
 (なお、残留孤児は必ずしも重国籍とは限らないが、日本国との実質的な結合関係が存在しなかったという点では、原判決の判示するところと全く同一の問題状況が存在する。)

(3) また、昭和59年改正前に、日本人父と、父母両系血統主義の国の女性である母との間の子として日本国外で出生した重国籍児も同様のケースである。
 当該子には改正前法9条は適用されないため、当該子は出生により日本国籍及び母の国籍を取得し、重国籍のまま日本国外に長年居住しており、日本との結合関係は全く存在せず、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行も全くない。しかしながら、これらの者は長年月を経て日本に出生届をすることによって、問題なく日本国民として扱われ、その際に国内法上看過しがたい重篤な事態は発生しない。

(4) このように、原判決がいう「国内法上看過しがたい重篤な事態」が発生するおそれ、というのは何ら実証されていない、観念的・感覚的なものにすぎないのである。

5 ノッテボーム事件判決を立法目的の根拠とすることの誤り
(1) 原判決は、実効性論が法12条の立法目的として合理性を有することの根拠として、国際司法裁判所1955年4月6日ノッテボーム事件判決を引用する。
 法12条の立法目的としての実効性論の合理性の根拠として原判決が判示する内容は、前述の通りいずれも抽象的・観念的であり、唯一このノッテボーム事件判決のみが具体的な摘示ということができる。
 しかしながら、原判決のノッテボーム事件判決に関する理解は明らかに重大な誤りを犯しており、この点は次項において指摘するとおりである。
 そればかりでなく、そもそも法12条はその制定過程から見て、ノッテボーム事件判決の考え方を踏まえて制度設計されたものとは言い難い。

(2) ノッテボーム事件判決が法12条の立法目的である実効性論の根拠となったことは、被控訴人国も原審において「国籍の実効性という概念が国際法の領域において意識的に取り上げられ、これが国籍における基本的な概念として明確化されたのは、1955年にノッテボーム事件に関する国際司法裁判所判決が出されたころのことであった。」(被告第3準備書面26頁)、「この国籍の実効性の考え方がノッテボーム事件のころに意識的に用いられるに至った概念であって」(被告第4準備書面20頁)等と主張していたとおりである。
 しかしながら、ノッテボーム事件判決が出されたのは1955年、すなわち昭和30年である。昭和59年改正の過程で中間試案が公表された昭和58年まで約28年もの時間の間隔があり、その間にノッテボーム事件判決については多くの研究と評釈がなされていたはずである(例えば甲57は1975年発行であるし、乙11末尾記載の参考文献のうち「金城清子『高野判例』」(正式には、金城清子『ノッテボーム事件』高野雄一編著『判例研究・国際司法裁判所』、東京大学出版会)は1965年の発行である)。しかるに中間試案では国籍喪失制度の存続(A案)と廃止(B案)の両案が併記されたが、そこには前述の通り実効性論に関連する視点は全く言及されていないのみならず、ノッテボーム事件判決にも全く言及されていない。このことは、中間試案策定・公表の時点では国籍喪失制度の立法目的としての実効性論も、その根拠としてのノッテボーム事件判決も、何ら考慮されていなかったことを示すものである。

(3) 他方、昭和59年2月に策定された法律要綱案の説明において、法12条の立法目的として実効性論が提唱され、その根拠としてノッテボーム事件判決に言及されるようになった。
 ところで、ノッテボーム事件判決では、ある国籍国が外交保護権を行使しうるための国籍の実効性を判断する際の要素として、「伝統、定住、利害関係、活動、家族関係、近い将来の意図」を考慮すると判示しており、この点が同判決の重要なポイントともなっているのである。しかるに、昭和58年に公表された中間試案にA案として記載された国籍喪失制度と、昭和59年に策定された法律要綱案に記載された国籍喪失制度は全く同一の内容であり、ノッテボーム事件判決が示した、国籍の実効性を判断する要素について検討した形跡は全く存在しない。また、法律要綱案策定後の国会答弁や文献における解説においても、「ノッテボーム事件判決の考え方に依った」と述べるのみで、ノッテボーム事件判決が提示した判断要素をどのように考慮して法12条の要件を定めたのか、全く示されていない。

(4) そもそも、ある制度の創設に当たっては、先に立法目的が存在し、この目的を実現するために必要な制度設計がなされるはずである。もともと「重国籍発生の防止・解消」という立法目的から改正前法9条を改変する形で制度設計された法12条に、もともと立法目的として存在しなかった実効性論が後から付け足され、しかもそれによって制度設計に何の変更もなされないというのは、考え方も手順も全く逆であり、その立法目的と当該制度が真に適合しているのか疑問を抱かざるを得ない。端的に言えば、当該制度の設営に当たって、そのような立法目的などあってもなくても変わらない、というに等しいのである。
 以上の通り、「実効性論」の合理性をノッテボーム事件判決をもって根拠づけようとすること自体が、この立法目的の合理性の欠如を示すものである。

6 国際法上の看過し難い事態について−ノッテボーム事件判決に関する原判決の誤り
 前述の通り、原判決は実効性論の根拠としてノッテボーム事件判決を引用し、「国際法的に見ても、形骸化した国籍を有する者に対して、国家が外交保護権を行使することが許されるかなどの種々の問題が生じることになる」と述べ、実効性のない形骸化した国籍の発生を防止することが立法目的としての合理性を有すると判示する。しかしながら、当該判示は、ノッテボーム事件の理解、ひいては国際法の理解を誤ったものであり、失当である。
 そもそも、ノッテボーム事件国際司法裁判所判決は、本件で問題となっている国籍取得/喪失の要件について判示したものではないのであるから、同事件を引用して、被控訴人が主張する実行性論を根拠づけることはできない。すなわち、同判決が判示する、いわゆる「実効性ある国籍原則」は、当該国が当該国民の国籍国であることを対外的に対抗するため(例:他国に対して外交保護権を行使する等)に必要な要件として当該国籍が実効性あるものでなけれなばらない、としたものであって、当該国が国籍を付与するないし喪失させる際の要件として国籍の実効性の有無を加味しなければならない、としたものではないのである。

7 法3条1項によって日本国籍を取得した者についても国籍の実効性を欠く事態が生じること
(1) 原判決は、法12条の適用対象者について、「外国で出生した日本国民で外国の国籍も取得した者は、日本で出生し日本国籍だけを取得した者と比較して、出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強いことから、①日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」と判示する。
 しかしながら、原判決の論理によれば日本国籍が実効性を欠く形骸化したものとなる可能性が相対的に高いこととなる者は、法12条の適用対象者のみではない。

(2) 法3条1項(平成20年改正の前後を通じて)の適用対象者は、出生時に外国籍を取得している点で法12条の適用対象者と共通である。そればかりか、出生時に日本国籍を有しない点では、唯一の国籍国である当該外国との結合関係は法12条の適用対象者よりも遙かに強いということができる。そして、その子が外国で出生した場合(国外出生子も法3条1項の適用対象であることは争いがない)には、その者の出生国との地縁的結合の度合いは、法12条の適用対象者と同じである。
 したがって、日本人父の非嫡出子として日本国外で出生し、出生後に日本人父から認知を受けた子は、「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」という点で、まさに原判決がいう「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」類型に属するものである。
 しかるに、これらの者は法12条適用対象者と異なり、国籍の実効性が問われることはない。

(3) 上述した不合理は、控訴人ダイチとその兄姉との間に顕著に表れている。
ア 控訴人ダイチの父・丸山峯男と母ジーナの間には、控訴人ダイチの出生以前に、4人の子ども、丸山美奈(1989年12月15日生)・丸山岳彦(1992年11月30日)・丸山蔵人(1995年2月1日生)・丸山亜美子(1996年5月8日生)が存在する。
 これら4人の子(以下「丸山4兄弟」という。)はいずれも婚外子であった。しかし父丸山と母ジーナは1997年2月10日に婚姻し、丸山は1998年2月18日に4兄弟を認知した。そして認知から約6ヶ月経過した後の同年8月14日に、平成20年改正前法3条1項の届出を行い、丸山4兄弟は全員が日本国籍を取得した(甲2)。
 他方、控訴人ダイチは、丸山とジーナの婚姻後の1997年11月6日に嫡出子としてフィリピンで出生した(甲1)。しかし、既に原審原告ら準備書面(1)の1の(3)(4)(4頁~5頁)で述べた経過を辿り、その出生後3ヶ月以内に国籍留保の意思表示をすることができなかったため、控訴人ダイチは日本国籍を喪失した。
イ 原判決の判示に照らせば、丸山4兄弟はいずれもフィリピンで出生し、出生によってフィリピン国籍を取得した点で、「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」といえる。そしてその状態は国籍取得届出当時まで継続していた。そもそも4兄弟は、出生時に日本国籍を有していなかった(法的には純然たる外国人だった)のであり、その出生時に日本との法的な繋がりは何ら有していなかったのである。
 このように、国籍取得時点でのフィリピンとの結合関係及び日本との地縁的結合の点で丸山4兄弟と控訴人ダイチとの間には何らの違いもない。然るに、改正前法3条1項が適用された丸山4兄弟については、その取得する国籍が実効性を欠く形骸化したものになるか否かを問うことなく当然に国籍取得が認められたのに対し、控訴人ダイチは出生によって取得したはずの日本国籍を「実効性を欠く形骸化した国籍になる可能性がある」として喪失したのである。

(4)ア 国は、このように日本国外で出生し、法3条1項の届出によって日本国籍を取得した後も日本国外で生活する日本国民の数やその所在場所を把握しておらず、またこれを把握するための作業も行っていない。
 したがって、これらの日本国民について「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できない」ことになり、「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」はずである。しかるに法3条1項は、かかる自体を何ら問題視していないことが明らかである。また実際にも、丸山4兄弟について「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保でき」ないことによる「国内法…上も看過しがたい重篤な事態」は何ら生じていないのである。
イ また、国がその所在を把握していないこれら日本国民については、仮に第三国によってその権利が侵害されたとしても、外交保護権を行使することができず、国際法上及び国民の権利保障並びに国家の保護義務履行の関係上「看過し難い事態」が生じることになるが、この点についても法3条1項は何ら問題視していない。
ウ このように、原判決のいう「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」ために「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」とされる者は、法12条の適用対象者に限らない。それにもかかわらず、法12条適用対象者に限って「国籍の実効性」を要求し、「実効性のない国籍の存在は国内法及び国際法上看過し難い重篤な事態を生じかねない」とするのは、明らかな誤りである。

8 国籍留保をした者の日本国籍も実効性を欠く形骸化したものとなる可能性があること
(1) 原判決は、「国籍留保の意思表示をされた子は、…類型的に我が国との結び付きが強いものということができ、反対に、国籍留保の意思表示がされない子は、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高いということができる。」と判示する(原判決14頁)。ここで「我が国との結び付きが強い」とは、「その日本国籍が実効性を有する」との意味であると解される。

(2) しかしながら、親が国籍留保の意思表示をしたからといって、その子のその後の生活や日本との繋がりが、国籍留保をせずに国籍喪失をした子と決定的に異なる、とする根拠はない。親が国籍留保の意思表示をした後もその子が当該外国に留まり、日本との具体的な接点を持たなかった場合、その生活実態は親が国籍留保の意思表示をしなかったために日本国籍を喪失した子と何ら変わらない。その場合、両者の違いは、出生後3か月以内に親が在外日本公館に出生届を提出し、その届出用紙の「日本国籍を留保する」との欄に署名したか否か、だけである。
 原判決は、「国籍留保の意思表示をされた子は、その親が子の福祉や利益の観点から日本国との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことが相当であると判断したものと考えられるのであるから、類型的に我が国との結び付きが強いものということができ」る、と判示する(原判決14頁)。しかしながら、国籍留保の意思表示を行った時点での親の純然たる内心の動機のみによって、子の国籍の実効性、言い換えれば子と国家との結び付きという(内心の意思とは全く別物の)外部的な要素に質的に決定的な差異が生じた、とするのは全く根拠がない。親が子の国籍留保の意思表示はしたものの、その後その子と日本の結びつきを強め、国内法上の権利を行使し義務を履行するための何らの行動も行っていない場合には、国籍留保によって日本国籍を保持した子と、国籍留保せずに日本国籍を喪失した子との間には、「親が国籍留保の届出をしたか否か」の一点以外に何らの差異はないのである。

(3) 上述の不合理は、控訴人ヒロコとその妹との間に顕著に表れている。
ア 控訴人ヒロコは、1990年4月4日、石山博美と妻アナベル・フェルナンデス・イシヤマの長女としてフィリピンで出生した(甲1)。しかし、既に原審原告ら準備書面(1)の2の(3)(7頁)で述べた経過を辿り、国籍留保の意思表示を行うべき期限を1週間徒過したことから「その日本国籍が実効性を失い形骸化したものとなる可能性が相対的に高い」者であるとして、日本国籍を喪失した。
 他方、控訴人ヒロコの妹・石山智恵子マリー(1991年11月10日生)は、その出生後3か月以内に父石山が出生届及び国籍留保届を行ったことにより、「類型的に我が国との結び付きが強いもの」として日本国籍を保持した(甲4)。
イ 妹の智恵子マリーは、その出生後現在まで控訴人ヒロコ及び両親とともにフィリピンで生活しており、その出生後の生活歴を通じて、日本との接点(日本国民としての権利の行使及び義務の履行状況)について日本国籍を喪失した控訴人ヒロコと何ら異なるところはない。
 原判決は智恵子マリーについて、その出生後3か月以内に国籍留保の意思表示がなされたことをもって、「類型的に我が国との結び付きが強いもの」とし、控訴人ヒロコについてはこれと対比して「その日本国籍が実効性を失い形骸化したものとなる可能性が相対的に高い」としてその日本国籍の喪失が是認されるものである、とする。しかしながら、両者の生活実態を対比するならば、原判決がいう「国籍の実効性」について両者の間にいかなる差異も存在しない。また、智恵子マリーについて「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保でき」ず、「国内法…上も看過しがたい重篤な事態」は何ら生じていない。さらに言えば、控訴人ヒロコについてその国籍留保の意思表示の期間を徒過した時点と、智恵子マリーについて国籍留保の意思表示をした時点とで、両者の将来の生育の見通しや計画については、何らの差異もなかったのである。
ウ このように、原判決のいう「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」ために「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」状態は、法12条による国籍留保の意思表示を親が行わなかった子についてのみ発生するものではないことが明らかである。それにもかかわらず、法12条の親が国籍留保の意思表示をした者に限って「国籍の実効性が認められる」とし、「実効性のない国籍の存在は国内法及び国際法上看過し難い重篤な事態を生じかねない」とするのは、明らかな誤りである。

9 結論
 以上述べたところより、「実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生の防止」という法12条の立法目的に合理性がないことは明らかである。 

第4 「重国籍の発生のできる限りの防止・解消」という立法目的の合理性

 1 「重国籍防止の要請」に関する原判決の考え方の問題
 (1) 原判決は、国籍喪失制度の立法目的の第2として、「②弊害が大きいとされる重国籍の発生をできる限り防止し解消すること」(原判決7頁)を挙げ、その理由として「国籍は、国家の基本的構成要素である国民、すなわち、国家の主権者たる地位ないし権利と共に国家の統治権に服する地位ないし義務を持つ者の範囲を画するものであって、1人の人間に対し複数の国家が対人主権を持つこと、又は国民に主権がある国において1人の人間が複数の国に対して同時に主権を持つということは、主権国家の考え方とは本質的に相容れないというべきである。」(原判決8頁)と判示する。
 この「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」との原判決の判示は、これを言葉の通りに理解するならば、「重国籍防止の要請」を極めて厳格に捉える立場といってよい。この考え方からするならば、主権国家と複数の国籍を持つ国民との併存は極めて重大な問題であり、国家間の主権及び国家の対人主権の保持のためには、重国籍はそもそも発生を厳格に抑止し、万が一重国籍が発生してしまった場合には、直ちに解消されなければならないものであることになる。

(2) 講学上の議論のひとつとしては、このような厳格な重国籍抑止論もあるかもしれない。しかしながら、本件訴訟で論じられているのは、法12条という具体的な制度を支える立法目的としての「重国籍の防止・解消の必要性」である。かかる観点から見るならば、原判決が判示する厳格な「重国籍抑止論」が観念論に過ぎないことは明らかである。

(3) 日本の国籍法においても「重国籍防止の要請」はひとつの重要な立法上の理念であるとされており、控訴人らもこの点を否定するものではない。しかしながら、それはあくまでも一般的な理念であって、重国籍について現行国籍法が採用している具体的な立法政策の内容は、国籍法の条文から読み取ることが必要である。そして、重国籍の防止・解消に関する法の基本姿勢について規定した条項が存在しない以上、国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」が具体的にどのような内容であるのかは、個々の条文から検討しなければならない。このような検討なしに、観念的に「重国籍防止の要請とはかくかくのものである」と決めつけ、これを条文解釈の指標とするのは、実定法の解釈として正しいものとは言えない。
 なお、原判決は、「原告らは、昭和59年改正において、国籍は唯一であるべきという国籍唯一の原則から重国籍容認へ転換が図られたのであって、重国籍発生の予防あるいは排除が昭和59年改正後の国籍法12条の目的であるとする被告の主張は誤りであると主張する。」(原判決10頁)と判示するが、控訴人らが係る主張をした事実はない。控訴人らの主張は、「現行国籍法制においては、「重国籍防止」という立法目的は放棄こそされていないものの、その優先順位は昭和59年改正前と比較すると制度設計上も実際の運用上も著しく後退しているのであり、本人の意思を無視し、あるいはこれに反してまで重国籍の防止・解消を厳格に追及しようと言う姿勢を有するものではない、と評価するのが正当である。」(訴状21頁)、「原告らは現行国籍法において重国籍防止・解消の要請が全く放棄され、重国籍を全面的に容認している、とするのではなく、一定の範囲、しかもかなり広い範囲で認容されている、と主張するものである」(原告ら準備書面(6)3頁)、と述べている通りである。

2 国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」の具体的な内容
(1) 国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」を具体的な条文から見るならば、以下の通りである。
ア 日本国籍の取得による重国籍の発生
① 法2条1号2号は、日本国民と血統主義国に属する外国人配偶者との間に生まれた子が日本国籍と外国人配偶者の国の国籍の二重国籍者となることを容認している。
② 法3条1項は、もともと外国籍のみを有する者が、日本人父の認知を受け、さらに法務大臣に届出をすることによって、後発的に日本国籍を取得するとともに、本人又は法定代理人の意思によって重国籍となることを容認する。
③ 法17条1項2項は、いったん日本国籍を喪失し外国籍のみとなった者が、所定の条件を満たした場合に、後発的に日本国籍を取得するとともに、本人又は法定代理人の意思によって再度重国籍となることを容認する。
イ 重国籍の解消
① 法12条は、親が国籍留保の意思表示をしなかった者は日本国籍を喪失するとして、重国籍の解消を企図する。
② 法11条は、日本国民が自己の志望によって外国籍を取得したとき(1項)または外国籍を選択したとき(2項)に、日本国籍を喪失するとして、重国籍の解消を規定する。
③ 法13条は、日本国籍の離脱による重国籍の解消を規定する。
④ 法15条は、法務大臣が国籍選択の催告を行った者が1ヶ月以内に日本の国籍を選択しなかったときには国籍を喪失するとして、重国籍の解消を規定する。但し国はこの制度の適用による国籍喪失を控えており、創設以来一度も実施されていない。
ウ 重国籍の確定
① 法12条は、親が国籍留保の意思表示をした者は日本国籍を保持するとして、親の意思による重国籍の保持を容認する。
② 法14条3項は、日本国籍を選択するときは外国の国籍を放棄する旨の宣言をすることによってするとし、法16条1項は、日本国籍を選択した者は外国籍の離脱に努めなければならないとしているが、同条項は訓示規定とされており、日本国籍を選択した者が外国籍を離脱しなかった場合に、この者の重国籍を解消する制度は16条2項以外には存在しないから、この場合には最終的に本人の重国籍が確定し、以後は本人が任意にいずれかの国籍を離脱しない限り、重国籍が永続する。

(2) 以上の通り、法は日本国籍者が発生する全ての場面で重国籍者の発生を容認している。他方、日本国籍の喪失による重国籍の解消については、法12条と15条を除いて、本人又は法定代理人の積極的な意思による選択を要件としており、法15条はそもそも制度創設以来30年間に渡って被控訴人国自身によってその適用が自制されている。そして、重国籍を解消するための最終的な手続とされる国籍選択制度は、本人が日本国籍を選択し、かつ外国籍を離脱しない場合には、重国籍を解消する手だてを失う。
 このように、国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」とは、具体的には、発生における重国籍を容認した上で、その解消を本人の意思に委ねる、という内容を持つものである。
 そしてその結果、法11条や13条によって日本国籍を喪失し、あるいは法14条によって日本国籍または外国籍を選択することによって、一定の重国籍を解消させる効果が期待できる一方で、法14条の国籍選択を行わず、あるいは日本国籍を選択した後も外国籍を離脱しないために、最終的に重国籍が解消されない者が発生する可能性も存在する。しかしながら、法及び被控訴人国は、はこれを容認しているのである。

3 被控訴人国の重国籍防止・解消に関する政策
(1) 被控訴人国は、何十万人という規模の重国籍の発生を認識しつつ、正確な把握をしていない。
 すなわち、2004年6月2日衆議院法務委員会において、日本政府は、重国籍に関する質問に対し、以下の通り答弁している(甲14)。
 日本政府が把握する重国籍者の数について、「判明する限りでの数ということで、それが完全な重国籍者数を把握しているとは言いがたいわけでありますが、少なくとも当方が把握している範囲では次第にふえてきております。昭和六十年当時は年間約一万人程度でございましたが、次第にふえまして、平成四年ごろには二万人程度になりまして、平成十四年では約三万三千人を超えているというのが私どもの把握している数でございます。」(以上、3頁目)「先ほど申し上げた数字、例えば三万人近い重国籍者というのは、平成十四年において新たに発生した重国籍者数でございます。」「その各年で把握した重国籍者として発生されたと思われる数を昭和六十年から平成十四年までを単純に合計いたしますと、約四十万人ということになります。ただ、その後の国籍の変化は必ずしも追跡調査をしているわけではございませんので、現段階においてそのとおりの数がいるかどうかは必ずしもはっきりいたしません。」(以上、4頁目)
 重国籍者の発生をどのように把握しているかという質問に対し、
「身分行為、例えば婚姻あるいは出生ということがありますと、市町村に届け出がなされます。それは監督法務局の方に届け書が送付されますので、監督法務局の方で、送付を受けた届け書等から重国籍者が判明する限りにおいて把握をしている、それ以上に積極的に捜索をするというようなことはしておりません。」(5頁目)
 昭和59年法改正に伴う附則3条の経過規定により重国籍となった者の人数を把握しているかとの質問に対し、
「数は把握しておりません。」(5頁目)
 法14条の国籍選択制度によって日本国籍を選択する旨の宣言を行った者が外国の国籍を外れたかどうかの調査を当該外国に問い合わせる等して行っているかとの質問に対し、
「本国への問い合わせまでは行っておりません。」(6頁目)

(2) 以上のように、被控訴人国は、昭和59年法改正後に発生した重国籍者の数も、重国籍が解消された数も正確に把握しておらず、重国籍の発生や解消を正確に把握する方策も有していない。さらに昭和59年法改正時に附則3条の適用によって生じた重国籍者の数さえ把握していない。また、今後重国籍者の数を把握するための方策を採る具体的な予定もない。
 このような、被控訴人国の重国籍政策(の不存在)は、(理念として重国籍の防止・解消を掲げつつ、実際の制度としては)重国籍者の発生を容認しその存続を本人又は法定代理人の意思に委ねる国籍法の制度設計と全く同じ方向性を示していることが明らかである。
 さらに指摘するならば、被控訴人国が重国籍の解消を(本人の意思に委ねる以上に)積極的に推し進めるという方針を有していないことは、法15条の法務大臣による国籍選択の催告がその制度創設以来一度も適用されていないことについて、「国籍を喪失するということは、その人にとって非常に大きな意味がありますし、家族関係等にも大きな影響を及ぼすというようなことから、これは相当慎重に行うべき事柄であろうと思っておりまして、現在までこの催告を法務大臣がしたことはございません。」(甲14・5頁)と述べていることに端的に表れているといってよい。

4 原判決の判示の矛盾
(1) 原判決は、「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」から、「できる限り重国籍を防止し解消させるべきであるという理念は合理的なものである。」と判示する。
 しかしながら、重国籍を「できる限り防止し解消する」、言い換えれば「防止も解消もできないものは存続を容認する」ことは、まさに「主権国家の考え方とは本質的に相容れない」はずである。この点でまず原判決には論理矛盾がある。

(2) また、「できる限り重国籍を防止し解消させるべきであるという理念」が国籍法においてどのように具体化されているかを見るならば、2項において既に指摘したように、
ア 重国籍の発生は広く認め(法2条1号2号、法3条1項、法17条。特に後2者は外国人がその意思によって日本国籍を取得することに起因する重国籍の発生を容認する)、
イ 法12条を除いて、重国籍の解消は本人若しくは法定代理人の意思による(法11条、13条)、若しくは本人の意思によらない重国籍の解消を自制する(法15条の運用)とし、
ウ 本人が最終的に日本国籍を選択した場合には重国籍の状態が永続することを事実上容認する(法14条3項、法16条1項)
というものである。
 このように、「重国籍の発生については広く許容し、その解消については本人の意思を尊重しその意思に反しない限りで行う」というのが、国籍法の諸制度から見えてくる「できる限りの重国籍の防止・解消」という法の理念の具体的内容である。この具体的内容と対比するとき、「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」という判示が著しく整合性を欠くことは一目瞭然であり、原判決が重国籍防止・解消の要請を法の諸制度の実情を無視して過剰に厳格に捉えていることは明らかである。

5 重国籍に伴う弊害に関する被控訴人国の政策
(1) 原判決は、重国籍の発生による弊害として、以下の点を挙げる(原判決8~9頁)。
① 第一に「国家は、自国民に対し、国家に対する忠誠義務、兵役義務、納税義務等の種々の義務を課し得るが、複数の国籍を持つ者は、その所属する各国からその義務の履行を要求されるところ、例えば両国が戦闘状況に入った場合の国家への忠誠義務のように、それらの義務が衝突したり抵触したりする事態も生じる」こと。
② 第二に「複数の国籍を持つ者については、複数の国家がその者に対して重複して対人主権を持つことになることから、国家間の外交保護権の衝突によって国際的摩擦が生ずるおそれも生じる」こと。
③ 第三に「重国籍者は、国家間での特別の連携制度がない限り、国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されることも可能であり、個人の同一性の判断が困難となり、複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害されたり、別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなるなど様々な深刻な事態を生じさせかねない」こと。
④ 第四に「本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることから、例えば、一方の国で婚姻が成立しているが他方の国では成立していないいわゆる跛行婚が生ずるなどによる混乱が生ずるおそれがある」こと。

(2) もし仮にこれらが「主権国家の考え方と本質に相容れない」ものであり、「国家と国家の間、国家と個人との間又は個人と個人との間の権利義務に重大な矛盾衝突を生じさせるおそれがある」のであるならば、かかる状態を放置することは主権国家として到底許容し難いはずである。
 しかしながら、原判決が指摘するこれらの「弊害」は、近年になってその存在が明らかになったものではなく、旧来より議論されてきたものである。そして父母両系血統主義を採用した昭和59年改正の時点で、立法担当者は当然これらの「弊害論」も念頭に置いていたものである。その上で同改正に踏み切ったということは、上記のような「弊害論」を何らかの形で克服していた、あるいは克服可能である、あるいは法改正を断念させるほど重大な問題ではない、と立法担当者が考えたからに他ならない。
 そしてまた、これらの「弊害」は法改正後も厳として存在していたはずであるが、被控訴人国は、これらの「弊害」を除去し、主権国家としての日本国の存立を確実にするため、あるいは「国家と国家の間、国家と個人との間又は個人と個人との間の権利義務」の「重大な矛盾衝突」を回避するために、何らの具体的な施策も実施していない。その理由は、
「古いことはわからないんですが、最近におきまして、私どもとして、具体的に重国籍で何らかの問題が生じたという事例は把握しておりません。」
との政府答弁(甲14・4頁 2004年6月2日衆議院法務委員会における房村政府委員の答弁)に端的に表れている。要するに、日本国籍と外国籍の重国籍状態は、日本が主権国家として存立するために、あるいは国家間、国家と個人、若しくは国家と国民の権利義務関係を調整するために、国が政策を策定し実施する必要があるほどの重大な問題を生じさせていないのである。

(3) 原判決が指摘する「弊害論」の個々の内容について論じるまでもなく、以上論じたところから、重国籍の存在が国家や社会に重大な問題を生じさせていないことは明らかである。要するに、被控訴人国自身が、「特段国が施策を策定し実施しなければならないほどの重大な問題ではない」と判断しているのであり、実際何ら重大な問題が発生していない、という事実が重要なのである。

6 弊害論に対する反論
(1) 原判決は、重国籍の発生による弊害について縷々指摘するが、ここで問題なのは、抽象的な「重国籍による弊害」論ではない。法12条がなければ法2条1号により日本国籍を保持できる者について、法12条によってその国籍を消滅させてまで回避すべき重大な弊害が重国籍によって発生するかどうか、である。
 かかる観点から、原判決が指摘する弊害論を検討する。

 (2) 弊害論の第一について
ア 原判決は、「国家は、自国民に対し、国家に対する忠誠義務、兵役義務、納税義務等の種々の義務を課し得るが、複数の国籍を持つ者は、その所属する各国からその義務の履行を要求されるところ、例えば両国が戦闘状況に入った場合の国家への忠誠義務のように、それらの義務が衝突したり抵触したりする事態も生じる」(原判決8頁)と判示する。
イ しかし、まず忠誠義務について言えば、少なくとも日本では国民の国家に対する「忠誠義務」という抽象的な義務を規定した法律は存在せず、「忠誠義務の衝突や抵触」という法律問題はそもそも発生し得ない。同様に兵役義務についても、日本は国民に対して兵役義務を課しておらず、その衝突を考えること自体が無意味である。この点について原判決が言う懸念は法律論ではない。
ウ 原判決は、重国籍者が有する他方国籍国と日本とが戦闘状態に入った場合の忠誠義務及び兵役義務の衝突を問題とするようであるが、そもそも戦争の放棄を謳い、平和国家を標榜する日本国憲法の下で、重国籍者について日本と他方国籍国との戦闘状態下での忠誠義務や兵役義務の衝突を論じること自体、無意味であるというだけでなく、憲法の基本原則に反する議論である。
エ 重国籍者であっても、他方国籍国が当該本人に兵役義務を課している場合にこれが当然に免除されるわけではないが、当該本人が日本に居住している場合、兵役義務を課すために他方国籍国が当該本人を強制的に連れ去ることは日本の対人主権及び領土主権に対する侵害であり許されない。他方、本人が他方国籍国に居住していたり、あるいは本人の意思で兵役に就くべく日本から他方国籍国に帰国した場合に、他方国籍国が当該本人に兵役を課することは何ら問題なく、当該本人が日本国籍をも有することを理由に、日本政府がこれを阻害することはできない。このように、兵役義務に関して日本と他方国籍国間で紛争が生じることは考えられない。
 なお、この国籍国による兵役義務の問題は、重国籍者だけでなく、日本に定住する外国人にも等しく発生する問題であるが、定住外国人に対する本国からの兵役義務が当該外国人と日本政府、あるいは当該外国政府と日本政府との間で重大な法律問題あるいは外交問題に至ったという例は聞かない。このようなことからも、重国籍者に対する兵役義務が日本と他方国籍国との間の衝突を生じるとの原判決の判示は観念論に過ぎない。
オ 重国籍者の所属国に対する納税義務の衝突とは、より具体的には二重課税の問題を指すと解されるが、これは本来、条約など国家間の合意によって解決されるべきものであり、かつ解決可能な技術的な問題である。二重課税の危険を回避するために国籍を失わせる、という議論は本末転倒であり、国際社会において到底通用する考えではない。
カ 以上の通り、「重国籍によって生じる義務の衝突や抵触」という原判決の指摘は抽象的・感覚的なものであり、政府委員が国会において答弁したとおり、これまで現実的・具体的な問題を発生させたことはない。また、将来において何らかの義務の衝突や抵触が生じるおそれが皆無ではないとしても、これまでの(特段重大な問題が発生していないという)実績を考えるならば、まずは既存の法律や問題ごとの国家間の調整によって解決することを検討するべきである。今まで重国籍によって重大な義務の衝突や抵触が生じておらず、将来もそのような事態が発生するか分からないのに、国籍という重要な法的地位を「念のため予め喪失させておく」という考え方に合理性があるとは到底言い難い。

 (3) 弊害論の第二について
ア 原判決は、「複数の国籍を持つ者については、複数の国家がその者に対して重複して対人主権を持つことになることから、国家間の外交保護権の衝突によって国際的摩擦が生ずるおそれも生じる」(原判決8頁)と判示する。
イ しかし、まず、第三国との間では、重国籍者の一方国籍国からなされた外交保護権の主張に対し、第三国が他方国籍を援用してその請求を争うことができないことは、今日確立したルールとなっている(甲46、25~26頁)。また、重国籍者の国籍国間での外交保護権の行使については、「相互に外交保護権を行使し得ない」という平等原則ルールから、「実効的国籍原則によって決定される」という実効的関連説に移行しているとされる(甲46、26~35頁)。このように、外交保護権の行使の可否は国際法上解決されるべき問題であり、また、まさにかかる問題を取り扱うべく存在する国際司法裁判所において、幾多の判例が示され、問題解決のルールが提示されている。
 したがって、重国籍者に関して国家間の外交保護権が衝突する可能性があることをもって、重国籍を防止し解消する根拠とはならない。

 (4) 弊害論の第三について
ア 原判決は、「重国籍者は、国家間での特別の連携制度がない限り、国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されることも可能であり、個人の同一性の判断が困難となり、複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害されたり、別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなるなど様々な深刻な事態を生じさせかねない」(原判決8~9頁)と判示する。
イ 少なくとも日本においては、原判決が言及するような「国家間での特別の連携制度」は存在せず、重国籍者が他方国籍国と異なる名を戸籍に記載することが、既に法律上何らの制限なく認められている。しかも、言語の違いにより、戸籍の記載から個人の同一性の判断は容易ではない。
 簡単な例を挙げれば、控訴人マークの父の小林実は、父小林誠と母ゴルドンシリオ、マジョリーの婚姻及び父の認知により準正子となり、平成20年改正前法3条1項により日本国籍を取得した(甲22号証)が、その日本名から、同人のフィリピン名であるMark Anthony Goldoncillio Kobayashi(甲7)を判別することは不可能である。戸籍にはそのフィリピン名が「ゴルドンシリオ、マークアントニー」と記載されている(甲22)が、この日本語表記のフィリピン名から上記のアルファベット記載を正確に表記することは容易でないし、いちいち除籍謄本に戻って確認することも困難である。
 したがって、「重国籍者は、…国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されること」は、少なくとも日本においては、可能性の問題ではなく、現実に発生している事態である。そしてそのような状態にある重国籍者は、平成14年時点で単純計算して約40万人もおり、その後今日に至るまで確実に増加している。
 しかしながら、被控訴人国は、重国籍者について戸籍上の記載と他方国籍国における登録内容との同一性を確認できないという現状を認識しているにもかかわらず、これを解決するための対策を何ら採っておらず、かかる事態を事実上容認している。そして戸籍実務も、このような取扱いを当然のものとして日常的に業務を行っているのである。
ウ また、「複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害され」る、との点については、そもそも日本国籍を有する重国籍者は日本国民であり、日本の出入国は自由であるから、重国籍者について入国管理をする必要性自体が存在しない。また、実務上も、上記の理由から日本旅券を所持して出入国する者についてその者が重国籍者であるか否か等をチェックしていないのであり、「適正な入国管理の阻害」との弊害論は全くの事実誤認である。なお、複数の外国籍を有する重国籍者について適正な在留管理の阻害を懸念することには意味があると思われるが、かかる重国籍の解消は日本の国籍法の問題ではないから、ここで論じる実益はない。
エ さらに、「別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなる」との点については、今日既に発生している重婚事案の一定数は、外国で婚姻後、日本に報告的届出をせず、戸籍に外国での婚姻が記載されていない状態を利用して再度婚姻をする(日本人の重婚の場合)、あるいは独身証明書を偽造して婚姻する(外国人の重婚の場合)、というものである。これらは、国家間の婚姻に関する報告制度の不備に起因するものであって、重国籍とは何ら関係がなく、仮に重国籍を完全に防止できたとしても上記の方法による重婚は防止できない。したがって、重国籍の防止と重婚の防止との間には因果関係はない。
オ 以上の通り、少なくとも被控訴人国は、原判決が指摘する上記の弊害を「深刻な事態」であると懸念し、これを抜本的に解決するための対策を講じているという事実は存在しない。
 被控訴人国は、重国籍者が異なる氏名で登録され同一性の判断が困難となることを前提に、これにより生じるおそれのあるトラブルを個々の裁判や刑事処分によって解決することを想定しているのであり、重国籍そのものを防止・解消することによるトラブルの発生防止を予定してはいないのである。
 このように、原判決が重国籍による弊害として指摘する上記の点は、被控訴人国自身が重国籍を防止解消してまで回避すべき重大事態と認識していないのである。

 (5) 弊害論の第四について
ア 原判決は、「本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることから、例えば、一方の国で婚姻が成立しているが他方の国では成立していないいわゆる跛行婚が生ずるなどによる混乱が生ずるおそれがある」(原判決9頁)と判示する。
イ しかしながら、ある国で成立した法律関係が別の国では否定される、といった事態は重国籍者にのみ発生するものではなく、国際結婚をはじめとして国境を越えた権利義務関係の形成に必然的に伴う問題である。かかる問題の解決のために「法の適用に関する通則法」が設けられ、国際私法と呼ばれる法分野が発達し、さらに裁判所において国境を越えた法律関係における紛争に関する判断が下され、それが国際私法のルールを形成していくのである。
ウ したがって、本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることによる混乱が生じるおそれがあることが、重国籍を防止解消すべき理由とはならない。

(6) 小結
 以上より、原判決がいう弊害論は、法12条によって日本国籍を喪失させてまで回避すべき重大かつ深刻な問題ではない。繰り返し指摘するように、原判決がいう弊害論が日本政府にとって重大な問題ではないことは、被控訴人国がこれらの弊害論に対して特別の対策を何ら講じていないという事実から極めて明白である。

7 結論
 以上の通りであるから、「重国籍の発生をできる限り防止・解消する」という立法目的は、本来であれば法2条1号2号により取得する日本国籍を法12条により消滅させることの合理性を根拠付けるものとは成り得ない。


控訴理由書その1

日本の裁判は公開は名ばかりで、口頭弁論ですら、裁判所で行われるのは原告、被告からの提出文書の交換と次の裁判の日程の確認で5分もかからずに終わってしまい、傍聴しても全く裁判の内容は分かりません。国籍法12条違憲訴訟のように、すべての国民が影響を受ける大事な裁判が密室の中で評決されることに危惧を覚えます。そのため、高裁での控訴審では、多くの方が、何が真実で正義がどちらにあるかを知っていただきたく、可能な限り双方からの提出文書を公開していきます。今回公開するのは、原告が高裁に控訴した際に提出した控訴理由書です。提出した控訴理由書は全89ページあります。その1は1から20ページです。
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2012年7月17日
控 訴 理 由 書

控 訴 人 ダイチ フェルナンド ミサ マルヤマ

被控訴人             国           

          控訴人ら訴訟代理人
弁  護  士   近   藤   博   徳

弁  護  士   久 保 田   祐   佳

弁  護  士   枝   川   充   志

弁  護  士   宮   内   博   史

弁  護  士   置   塩   正   剛

弁  護  士   細   田   は づ き

弁  護  士   長   瀬   祐   志

弁  護  士   濱   野   泰   嘉

東京高等裁判所第16民事部ロ係  御中



第1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
1 原判決の判示は実体を無視した抽象論・形式論である・・・・・・・・・ 5
2 「日本人の子は日本人」という日本人の常識的感覚と乖離している・・・ 5
3 原判決は国籍を取得し、保持することに対する国民の権利や利益に
ついて無関心ないし冷淡であり、平成20年最高裁大法廷判決が立脚
する視点を看過している・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
4 憲法14条1項適合性の判断基準について・・・・・・・・・・・・・・ 7
5 本書面の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
第2 法12条の法的性格について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
 1 国外出生重国籍児の日本国籍取得の法的根拠・・・・・・・・・・・・・ 8
 2 法2条1号と法12条の関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
 3 原判決の解釈の誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
 4 原判決の理由付けに対する批判−立案担当者の答弁について・・・・・・11
5 原判決の理由付けに対する批判−法11条、13条との関係・・・・・・14
 6 法12条による新たな国籍喪失者の作出・・・・・・・・・・・・・・・16
 7 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
第3 「実効性がない形骸化した日本国籍の発生の防止」という立法目的
の合理性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
1 国籍の実効性を問う立法目的が特異なものであること・・・・・・・・・17
2 原判決における「実効性論」の合理性の根拠 ・・・・・・・・・・・・・17
3 「国家との真実の結合性」とは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・18
4 国内法上の権利義務の行使あるいは履行に関する看過し難い重篤な
事態について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20
5 ノッテボーム事件判決を立法目的の根拠とすることの誤り・・・・・・・22
6 国際法上の看過し難い事態について−ノッテボーム事件判決に関す
る原判決の誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
7 法3条1項によって日本国籍を取得した者についても国籍の実効性
を欠く事態が生じること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
8 国籍留保をした者の日本国籍も実効性を欠く形骸化したものとなる
可能性があること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
9 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
第4 「重国籍の発生のできる限りの防止・解消」という立法目的の合理性・・30
 1 「重国籍防止の要請」に関する原判決の考え方の問題・・・・・・・・・30
2 国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」の具体的な内容・・・・・・・・31
3 被控訴人国の重国籍防止・解消に関する政策・・・・・・・・・・・・・33
4 原判決の判示の矛盾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
5 重国籍に伴う弊害に関する被控訴人国の政策・・・・・・・・・・・・・36
6 弊害論に対する反論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
7 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42
第5 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その1
−国内出生児との差別的取扱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42
 1 原判決の判示・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42
 2 国籍法における血統主義の基本原則について・・・・・・・・・・・・・43
 3 原判決批判−原判決のいう「地縁的結合」の実質的な意味・・・・・・・44
4 原判決批判−国外出生子について地縁的結合を国籍喪失の根拠とす
ることの誤り(その1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45
5 原判決批判−国外出生子について地縁的結合を国籍喪失の根拠とす
ることの誤り(その2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46
6 原判決の誤解の原因−法12条制定時の前提認識 ・・・・・・・・・・47
7 他国の国家実行に鑑みても法12条の差別的取扱は正当化されない
こと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50
 8 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51
第6 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その2
   −留保の意思表示の有無による差別的取扱・・・・・・・・・・・・・・51
1 国籍留保の意思表示の有無による差別的取扱いの存在・・・・・・・・・52
2 親の国籍留保の意思表示の有無により差異を設けることは立法目的
との間に合理的関連性がある、との原判決の判示とその根拠(原判決
13頁以下) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53
3 重要な前提事実 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55
4 本件控訴人らの親の認識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57
5 原判決に対する批判(その1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60
6 原判決に対する批判(その2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65
7 原判決に対する批判(その3)−届出期間に関する判示について ・・・67
8 原判決に対する批判(その4)−子の意思を問わないとすることの
問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70
9 結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・73
第7 立法目的と差別的取扱との合理的関連性その3
−国外出生非嫡出子(準正子)との差別的取扱・・・・・・・・・・・・73
 1 原判決の判示・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・74
 2 原判決の誤り−比較の対象の誤り・・・・・・・・・・・・・・・・・・75
3 原判決の誤り−制度の対比における誤り・・・・・・・・・・・・・・・76
 4 改正前法3条1項の制度の内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76
 5 法12条との対比・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78
 6 法12条の立法目的との関連性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80
第8 個別事情−控訴人ダイチの国籍留保の届出が戸籍法104条3項に
該当すること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82
1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82
2 「責めに帰することができない事由」の解釈・・・・・・・・・・・・・82
3 「届出をすることができるに至った時」の解釈・・・・・・・・・・・・83
4 控訴人ダイチについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83
5 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86


第1 はじめに

1 原判決の判示は実体を無視した抽象論・形式論である。
 原判決の判示は、抽象的・形式的であり、国籍のあり方に関する法や社会の実態を無視したものである。
 例えば、原判決は、重国籍について「主権国家の考え方とは本質的に相容れない」(原判決8頁)とまで断言し、あたかも重国籍が全く許容され得ないものであるかのように論じる。しかしながら、実際には、法は重国籍の発生を広く許容し、かつ法の制度とその運用によって、重国籍が最終的に解消されない仕組みができあがっている。原判決は、このような現実を無視し、抽象的な議論だけで厳格な「重国籍論」を作り出して、これを法12条に当てはめてその立法目的を説明しようとするものである。
 また、重国籍論の根拠に関する判示(原判決8~9頁)においても、上述した法の制度とその運用によって(すなわち違法でも脱法でもなく)現に重国籍者が何十万人という規模で存在する、という現実を見ることなく、抽象的・観念的にその弊害論を論じるものである。
 このような傾向は、「実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生の防止」という立法目的に関する議論においても見られ、原判決全体を覆うものである。

2 「日本人の子は日本人」という日本人の常識的感覚と乖離している。
 原判決はまた、「国籍留保の意思表示をされた子は、その親が子の福祉や利益の観点から日本国との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことが相当であると判断したものと考えられるのであるから、類型的に我が国との結び付きが強いものということができ、反対に、国籍留保の意思表示がされない子は、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高いということができる。」(原判決14頁)とか、「親が子の出生の届出すらしようとせず、それゆえに国籍留保の意思表示をしない結果となることをもって、日本との結び付きを望まない親の意思の表れとして取り扱うことは不合理ではない」(原判決15~16頁)と判示する。
 しかしながら、日本国民の間には出生による国籍の取得について「日本人の子は日本人」との意識が伝統的に存在するのであり、それは日本人の親から生まれた子は、届を出すだけで戸籍に載り、仮に届出が遅れても戸籍に載らないことはない、という実際の戸籍実務の取扱に裏打ちされて、我々の経験則に基づく常識となっている。
 このような常識に照らせば、「国籍留保がされない子は国籍を与えないという親の意思の表れ」という原判決の判示は、経験則に反した不合理な理解である。

3 原判決は国籍を取得し、保持することに対する国民の権利や利益について無関心ないし冷淡であり、平成20年最高裁大法廷判決が立脚する視点を看過している。
 上述のように、原判決が形式論・抽象論に留まり、また国籍の生来的な取得に関する我々の常識的理解に反する判断をしてしまう理由は、明らかである。
 最大判平成20年6月4日は、「日本国籍は、我が国の構成員としての資格であるとともに、我が国において基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。」と判示している。このように、日本国籍の有無が個人の基本的人権の保障等にとって重要である、との認識に立てば、ある制度が個人の権利や利益を侵害している可能性が指摘されているときに、その制度の合理性や憲法適合性を抽象的観念的に論じることはできず、権利利益の侵害の内容や、他方その制度が守ろうとしている利益について具体的に検討することが求められる。
 ところが、原判決の判示は、「国籍は、国家と個人とが相互に権利を有す義務を負担することになる法的きずな」(原判決7頁)であるとするのみであり、上記最判の視点を全く欠いている。このような立場に立つならば、侵害される権利利益と守られる権利利益を具体的かつ慎重に検討しようとする姿勢が生まれないのは当然といってもよい。
 このように、原判決における法12条に関する議論が抽象的・観念的であり、また出生による国籍取得に関する日本国民一般の常識的感覚と乖離した前提に立って何ら問題を感じないのは、個人の権利利益の保護にとって日本国籍の存在が重要である、との認識が欠如しているからである。

4 憲法14条1項適合性の判断基準について
 最大判平成20年6月4日は、上記引用に続けて、「一方、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは、子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって、このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては、慎重に検討することが必要である。」と判示している。日本国籍の重要性について理解を欠く原判決には、国籍を巡る不平等扱いについてかかる慎重な検討をすべきとの認識も見られないが、このような姿勢が上記最大判の立場と反することは明らかである。本件においても、差別的取扱の合理性については、慎重に検討されるべきことは当然である。

5 本書面の構成
(1) 本書面においては、まず第2において、憲法13条違反を論じる前提としての法12条の法的性格に関する原判決の判断(原判決9~10頁)を批判し、法12条が生来的に取得した国籍を事後的に喪失させる制度であることを論証する。
(2) 次に第3において、「実効性がない形骸化した日本国籍の発生の防止」という立法目的に関する原判決の判示を批判し、かかる立法目的に合理性がないことを論じる。
(3) 第4においては、「重国籍の発生の防止」という立法目的に関する原判決の判示を批判し、国籍法上、重国籍の防止が本人や親の意思を無視してまで要請されているものではないことを指摘する。
(4) 第5において、国内出生児と法12条が適用される国外出生児との間の差別的取扱について合理性がないことを論じる。
(5) 第6において、同じく国外出生児の間で親が国籍留保の意思表示をした者とこれをしなかった者との間の差別的取扱に合理性がないことを論じる。
(6) 第7において、同じく国外出生児のうち、嫡出子と非嫡出子の間に見られる差別的取扱について、合理性がないことを論じる。
(7) 最後に第8において、控訴人ダイチ・フェルナンド・ミサ・マルヤマについて、その出生後3ヶ月を経過した後になされた出生届が「責めに帰することができない事由」によるものとして戸籍法104条3項により適法な届出となり、これによって控訴人ダイチが日本国籍を留保していたことを主張する。


第2 法12条の法的性格について

 1 国外出生重国籍児の日本国籍取得の法的根拠
(1) 生来的な国籍取得について、日本の国籍法が血統主義(法2条1号)を基本原則としていることは、争いがない。
 判例も、最判平成14年11月22日判決は、法2条1号について「日本国籍の生来的な取得についていわゆる父母両系血統主義を採用したものである」と判示している。また、最大判平成20年6月4日は、「国籍法2条1号は、子は出生の時に父または母が日本国民であるときに日本国民とする旨を規定して、日本国籍の生来的取得について、いわゆる父母両系血統主義によることを定めている。したがって、子が出生の時に日本国民である父または母との間に法律上の親子関係を有するときは、生来的に日本国籍を取得することになる。」と判示し、平成20年改正前の法3条1項(準正の成立を理由とする届出による国籍取得制度)の制度趣旨について、「日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって、同法の基本的な原則である血統主義を補完する」ものである、と判示している。
 他方で、日本の国籍法は、補充的に生地主義も採用しているとされ、その例として法2条3号が引用される。しかしながら、法2条3号は血統主義による国籍取得の射程範囲外の事案について、無国籍者の発生防止という要請に基づいて設けられた規定であり、適用場面も、対象者も法2条1号と比べて非常に限定的である。そして同号の他に生地主義的思想によって生来的な日本国籍の取得を認める規定はない。
 このように、日本の国籍法は生来的な国籍取得に関しては、血統主義的な考え方にかなり強く依拠しているものであり、日本との結びつきの判断基準として、血縁に加えて地縁的結合を要求するとか、血縁による結合と地縁による結合のいずれの場合も許容する、といった姿勢を取っていない。これが日本国籍の生来的な取得に関する法の基本的な姿勢であり、また、旧国籍法以来の血統主義の伝統や、単一民族思想の浸透によって、一般の日本人に広く認識され、共有されている考え方である。

(2) 改めて指摘するまでもなく、法2条1号は、出生時の親が日本国民であるという要件のみで当然に日本国籍を取得させる。同規定は、日本国民の子として出生しさえすれば、その出生地、出生の届出や公文書への記載の有無や時期、外国籍の取得の有無、出生後の生活の本拠地、日本人親との同居生活の有無にかかわらず、当然に出生時の日本国籍の取得を認めるものである。
 このように、日本国外で出生した日本国民の子が日本国籍を取得するのは、法2条1号がその根拠規定である。

 2 法2条1号と法12条の関係
(1) これに対し、法12条は「出生により外国籍を取得した日本国民で国外で生まれたもの」を対象者とする。ここから明らかなように、法12条は「日本国民」すなわち法2条1号により日本国籍を取得した者を対象とする。したがって、法2条1号と法12条の適用関係は、子の出生時に前者の適用によって日本国籍を取得し、出生後3ヶ月間の親による国籍留保の意思表示の有無によって法12条によって国籍の得喪が決定する、という関係にある。
 このように、法2条1号と法12条は時間的にも論理的にも明らかな先後の順序があり、前者によって取得した日本国籍を後者によって喪失させる、という関係にあることは自明である。

(2) 原判決は、「国籍法12条は、…国籍の生来的な取得を制限し、出生当時から国籍を取得しなかったことにする趣旨を表したものと解することができる。」と判示する(原判決9頁)。
 このように、原判決は法2条1号による「国籍の生来的な取得」を法12条が「制限」するとしており、上述の時間的及び論理的な先後関係を是認するものである。

(3) さらに、本件訴訟において法12条が違憲無効と判断された場合には、控訴人らの日本国籍は法2条1号によって認められることになる。このことからも、法2条1号と法12条の時間的・論理的先後関係が明らかになるとともに、両者が別制度であることも明らかである。

(4) このように、法2条1号と法12条の関係から論理的に考えても、両者の間には適用の先後関係があり、前者によって取得した日本国籍を後者によって消滅させる、という関係にあることが明らかである。

 3 原判決の解釈の誤り
(1) 原判決が、法2条1号と法12条が別個の制度であることを前提としつつ、あたかも一体として適用されるかのように論じる理論的な根拠は不明であるが、仮に「国外出生重国籍児の生来的国籍取得については法2条1号と法12条が不可分一体であり実質的に一つの制度として存在し適用される」との法律解釈に立脚しているとするならば、明らかな誤りである。

(2) もし仮に上記のような解釈を採るならば、法2条1号は国外出生重国籍児には同条単体では適用の余地がないことになり、同条の場所的適用範囲を実質的に日本国内に限定するということになる。すなわち、法2条1号に血統主義のみならず「日本国の領土内で出生した」という生地主義的要件を加味することと等しい。しかしながら、文言上も、解釈上も、そのような要件を現行の法2条1号に加えることは不可能であり、またかかる要件を追加する必要性についての議論もこれまでなされたことはない。

(3) また、もし仮に上記のような解釈を採るならば、法12条のみを違憲無効とすることは「国外出生重国籍児について法2条1号のみによる国籍取得を認める」という新たな国籍取得制度を設けることとなり、実質的な立法作用を行うものであって三権分立原則に反し許されない、という反論が当然になされるはずである。
 しかしながら、本件訴訟において被控訴人からこのような反論が提示されたことはなく、原判決においてもこのような指摘はない。

(4) さらに、法12条の制定過程の議論を見ても、立法者が「国外出生重国籍児については法2条1号と法12条が不可分一体であり実質的に一つの制度として存在し適用される」という理解には立脚しておらず、むしろ法12条がいったん発生した日本国籍の喪失を目的とした制度であることを前提としていたことは、明らかである。
ア 昭和59年法改正前の法9条が定めていた国籍喪失制度は、日本国民の子で生地主義国で出生したことにより外国籍を取得した者を適用対象者としており、その立法目的は重国籍者の発生防止にあるとされた。
 ところが昭和59年法改正で父母両系血統主義が採用されることに伴い、血統を根拠とする生来的な重国籍者の大量の発生が不可避となった。そのため、生地主義国での出生による生来的な重国籍者のみを対象とする改正前法9条の存在意義が問われることになり、その存廃が法改正における課題の一つとなった。
イ 当時の法務省民事局第5課は、法改正の方向性に関する議論の材料となるものとして、昭和58年2月1日に「国籍法改正に関する中間試案」を公表した。この中間試案の中で法務省は、改正前法9条の扱いについて、現行法12条のように改正し存続させるとするA案と、国籍選択制度を設ける代わりに国籍喪失制度を廃止するB案とを併記し、各界の意見を問うものとした。
ウ このように、法改正時には現行法12条の案と、国籍喪失制度を廃止する案が併記され、両者が対置する制度案として議論の対象とされたのである。これは、「国内出生児に対し単体で適用される法2条1号」と「国外出生重国籍児に不可分一体として適用される法2条1号及び法12条」を対置するという考え方ではない。むしろ、出生地の国内外や国籍の単複を問わず日本国民の子として出生された者に法2条1号が等しく適用されることを前提とした上で、国外出生重国籍児についてのみ適用される法12条の存廃を議論する、という問題設定である。
 当時、被控訴人国は法2条1号と法12条の関係についてこのように理解していたのであり、法12条は国外出生重国籍児が法2条1号によって取得した日本国籍を事後的に(出生後の事情により)喪失させる制度であると考えていたのである。

 4 原判決の理由付けに対する批判−立案担当者の答弁について
(1) 原判決は、その判示の理由付けとして、法11条及び13条と異なり法12条が「出生の時にさかのぼって日本の国籍を失う」と規定していること、及び法12条制定時の立案担当者の説明や国会審議における政府委員の答弁を挙げる(原判決9~10頁)。

(2) しかしながら、法12条の遡及効はまさに同条を適用した結果生じる法的効果に過ぎない。また控訴人らも条文に明記された遡及効自体を争っているのではなく、出生後の事情によって遡及的に日本国籍を消滅させる法12条の制度が、いったん取得した日本国籍を事後の事情によって喪失させるものである、と主張しているのである。原判決の上記の理由付けは何らその根拠となり得ない。

(3) 上述の通り、遡及効とはある時点で発生した事実に基づいて、それ以前の法律関係を変動させるという法的技術であり、過去の事実を否定しうるものではない。法2条1号と法12条の関係でいえば、法12条適用の結果、当該本人は出生時にさかのぼって日本国籍を失うが、それは事実として最初から日本国籍を取得していなかった(すなわち外国人として出生した)ことと同義ではない。このことは、法17条や法8条3号(簡易帰化制度)が法12条の適用によって日本国籍を喪失した者を純然たる外国人と別扱いしていることからも明らかである。
 このように、原判決が「出生当時から国籍を取得しなかったことにする」としているのは、法2条1号及び法12条が適用された結果として生じる法的効果、すなわち「法2条1号によって日本国籍を取得した国外出生重国籍児が、国籍留保の意思表示をしなかったために出生時に遡って日本国籍を喪失した」という一連の経過の結論部分の法的効果を説明しているに過ぎないのであり、法2条1号と法12条が順次適用される過程、すなわちいったん取得した日本国籍をその後の事情によって喪失させるという事実及びその各時点での法的地位の変化を説明するものではない。
 むしろ「遡及的喪失」という法的技術を採っていること自体が、出生時には日本国籍を有していることを前提としているのである。

(4) また、原判決が挙げる立案担当者の説明や政府委員の答弁も、「さかのぼって日本国籍を失う」という法12条が適用された結果の法的効果を説明したに過ぎない。
 例えば、乙7・15頁以下の記述においても、国籍喪失制度は「結果的に、国籍留保の意思表示をした者は、出生時に取得した国籍を引き続き保有するが、意思表示をしなかった者は、実際上は、日本の国籍を取得しなかったのと同じことになるのである。」(傍点は控訴人ら訴訟代理人)と述べている。これは、「法2条1号による国籍取得→法12条による遡及的喪失」という関係を前提とした上で、その遡及的喪失の効果として「日本の国籍を取得しなかったのと同じことになる」ことを、「出生時における国籍の取得を制限したもの」と表現しているのである。
 この記述からも明らかなように、法12条に「国外出生重国籍児の日本国籍の生来的な取得を制限する」という目的があったとしても、それは国籍の遡及的な喪失という法的効果を説明するものに過ぎず、いったん取得した日本国籍を事後的に喪失させるという法2条1号と法12条の法的な関係や、その間の法的地位の変化の説明ではない。
 むしろ、「二条の規定で日本国民を父又は母とする子供が生まれた場合にはその瞬間には日本国籍を取得するわけでございますけれども、留保しなければさかのぼって失うということになっておるわけでございます。」との政府委員答弁(乙6の4・15頁3段目の枇杷田局長答弁)が、法2条1号と法12条の関係を適確に説明している。ここに端的に表現されているように、原判決が指摘する立案担当者の説明や政府委員の答弁は、本人の法的地位の変遷の結果、出生時から日本国籍を取得しなかったこととなり、「出生時の日本国籍取得が制限されるのと同じ法的効果が得られる」、ということを言っているに過ぎない。
 また、昭和25年の現行国籍法制定にあたりその立案を担当した平賀健太郎裁判官が、法務府民事法務長官総務室主幹との肩書で、同国籍法の解説書として著した「国籍法 下巻」において、改正前法9条について「国籍喪失の効果が出生の時にさかのぼるのであるが、日本国籍は一度有効に取得されているのであるから、やはり国籍喪失の一場合であり、本人が帰化によって日本の国籍を取得しようとするときは、国籍法第六條第四号にいう「日本の国籍を失った者」として簡易帰化の規定の適用を受ける。」(甲27・443頁以下)としているのは、まさに現行法2条1号と法12条の関係を正確に説明したものと言うべきである。

5 原判決の理由付けに対する批判−法11条、13条との関係
(1) 法12条の制度は、大正13年改正で設けられた旧国籍法20条の2の国籍喪失制度に起源を有し、国籍喪失の遡及効も上記大正13年改正以来、引き継がれているものである。この改正時に従前の国籍離脱制度から国籍喪失制度に改変をした理由は、外国に永住し、子に日本国籍を保持させる意思のない(したがってわざわざ離脱の意思表示すらしようとしない)ケースが多いことを前提に、そのようなケースでも実効的に日本国籍を喪失させることが目的であった、とされている。
 このように、大正13年改正による国籍喪失制度の創設は、親の意思によらずに子の日本国籍を喪失させることに眼目があったのであるが、そのような目的との関係で見れば、国籍喪失の効果を出生時までさかのぼらせることに必須の要請があったとは認めがたく、従前の離脱制度のように将来に向かって国籍喪失の効果を発生させることでも所期の効果は得られた。
 したがって、国籍喪失制度の創設によって国籍喪失の効果を遡及させる論理的必然性はない。また、大正13年改正の際に国籍の遡及的喪失の法的意味や、遡及効を有しない他の国籍喪失制度との質的な違いが議論された形跡もない。

(2) 大正13年改正時に、国籍喪失の効果が将来に向かってのものから出生時に遡及するものに改変された理由は、以下の点にあると解される。
 第1に、離脱制度の場合は遅くとも離脱の届出の際に日本国民としての出生の届出がなされるので、日本政府として日本国民の存在及び当該人が日本国籍を離脱した事実が把握できるのに対し、喪失制度の場合には本人は何らの届出なく日本国籍を喪失するために、その者が一定期間日本国籍を有していたことを日本政府として把握できず、日本政府がその存在を把握し得ない日本国民が発生することとなってしまう。そのために、むしろ出生時に遡って日本国籍を喪失するとした方が日本政府が当該人を日本国民として把握する必要がなく、便宜であった、という点が挙げられる。
 第2に、出生後わずかな期間で日本国籍を喪失する場合には、その国籍を前提とした他者との権利関係や利害関係が発生する可能性も低いので、出生時に遡って日本国籍を喪失するとしても本人や周辺への影響ないし不利益はないと考えられる、という点も考慮されたものと解される。
 第3に、移住先国の国籍のほかに日本国籍をも有することによる移民排斥問題を解消し現地への定着・同化を促進するという当初の立法目的に照らせば、出生時から日本国籍を有しないという扱いにした方が望ましい、という政策的配慮もあったと解される。

(3) このように、大正13年の旧法改正時には、日本政府における当該人の把握の可能性や必要性、日本国籍を失う本人の便宜、日系移民の同化促進による排斥問題の解消、等の現実的な事情が考慮されて遡及的喪失が認められたのであり、極めて政策的な理由によるものであったと解される。

(4) これに対し、法11条や13条による国籍喪失が将来に向かってのみ効力を有する理由としては、以下のような点が挙げられる。
 第1に、法11条や13条が適用される事案において、遡及的に日本国籍を喪失させることは通常の場合本人の意思に反する。
 第2に、法11条及び13条による国籍喪失の場合には、そもそも遡及的に国籍を喪失させる必要性がない(日本政府としては当該本人が日本人として存在し、一定の要件を充足した日本国籍を喪失したことを戸籍によって把握することができる)。
 第3に、本人が一定期間日本国民として生活し、日本国籍を前提として様々な権利関係や身分関係を形成している場合が通常であり、そのような場合には、遡及的に日本国籍を喪失させるとその権利関係を混乱させる。
 第4に、事案によっては遡及的に日本国籍を喪失した結果、過去の一定期間無国籍であったことになってしまうケースもあり得る。

(5) このように、法11条や13条と法12条との間には、日本国民としての生活歴の長短や、国籍を遡及的に喪失させることの実務的な必要性あるいは弊害などの違いがあり、このような現実的な理由から遡及効の有無に差異を設けているものと見るのが正しい。したがって、法11条や13条と法12条との間の遡及効の違いを根拠に、後者が前者と本質的に異なるものとする原判決の考え方は根拠がなく、誤りである。

 6 法12条による新たな国籍喪失者の作出
 昭和59年改正前の法9条は、生地主義国で出生したことにより外国籍を取得し重国籍となった日本国民を対象としていた。同改正以前は、本件控訴人らのように血統主義国で出生し、外国人母の国籍を承継して重国籍となった日本国民は、国籍留保の意思表示を要せずに、当然に日本国籍を保持していた。
 しかるに、昭和59年改正によって生地主義国以外で出生した重国籍児も国籍留保の意思表示をしないと日本国籍を喪失することとなったものである。このように、生地主義国以外で出生した重国籍児に対しては、それまで法2条1号によって取得していた日本国籍を法12条によって失わしめることになったのであり、この点でもやはり法12条は従前であれば取得し保持することができた日本国籍を喪失させる制度ということができる。

 7 結論
 以上の通り、国外出生重国籍児も日本国内で出生した日本国民の子と全く同様に、出生によって法2条1号に基づき日本国籍を取得するのであり、法12条はこのようにいったん取得した日本国籍を出生後の事情によって消滅させるものであって、まさに国籍喪失制度であると理解するのが正解である。また、このように理解することが原審で主張した条文の文言や各条項の位置関係、簡易帰化制度(法8条3項)との関係など(原告ら準備書面(5)3頁以下)とも整合的であり、さらには通常人の常識的理解にも合致する。
 原判決が法12条をもって「国籍の生来的な取得を制限し、出生当初から国籍を取得しなかったことにする」制度である、とするのは、法2条1号と法12条との関係の理解を誤り、その適用の先後関係に起因して当該本人の「日本国籍取得→喪失」という法的地位の変遷が生じることを看過し、法12条の適用結果の法的地位の説明に拘泥したものであって、誤った理解に基づく判示である。

地裁判決

国籍法12条違憲訴訟の地裁判決が3月23日午後1時25分、東京地方裁判所7階705号室で言い渡されます。自信はと問われれば正直あまりありません。ブログの閲覧者は今現在、48,568名になります。国籍法12条でグーグレば、このブログが最初に検索リストに表示されます。大勢の方に支援されていると感謝しています。ただ、支援の程度と、国が数十年にわたって続けてきた棄民政策が司法の場に載ったときには司法が、国の犯罪を認めるのだろうかと、弱気になってしまいます。ただ、違憲訴訟ですのでは最高裁での決着になります。最後には勝つと信じています。親の過失ともいえない過失に対して、生後3ヶ月の子の国籍を本人の意思を確認することなく剥奪する世界で例をみない悪法です。重国籍を認めていない国でも、20歳に達したときに国籍の選択をさせています。兄弟の国籍をバラバラにする意味不明の法律です。ご支援願います。東京地方裁判所の地図は、
http://www.courts.go.jp/tokyo/about/syozai/tokyotisai/index.html
です。
裁判の傍聴はもちろん可能で、特に傍聴券などは要りません。時間に法廷に行けば(法廷は出入り自由です)、誰でも傍聴できますので大勢の方の傍聴をお願いいたします。

第8回口頭弁論

11月4日の第7回口頭弁論は、来日している二人の原告の国籍再取得の成否について議論がなされました。3、40分近い時間を取って、法律上の論点と事実関係について争いのある点を詳細に詰め、これらについて再度双方が準備書面(及び必要であれば陳述書)を提出し、裁判は次回に結審することも考えている、とのことでした。
国籍法12条違憲訴訟の第8回口頭弁論の日時が決まりました。12月16日午前11時です。場所は、東京地方裁判所705号法廷です。
東京地方裁判所の地図は、
http://www.courts.go.jp/tokyo/about/syozai/tokyotisai.html 
です。
裁判の傍聴はもちろん可能で、特に傍聴券などは要りません。時間に法廷に行けば(法廷は出入り自由です)、誰でも傍聴できますので大勢の方の傍聴をお願いいたします。
国籍法12条は、子供の意思を問わずに国籍を剥奪する非人道的な法律です。重国籍を認めていない国でも、子供が20歳、もしくは22歳で国籍の選択をさせています。今後、福島原発事故の放射能汚染が拡大していく中で、やむを得ず国外退避を行う人が増えていくこととなります。避難した国、都市によっては、3ヶ月以内(3ヶ月の1日前まで)に出生届を提出することが困難な場合があります。国籍法12条は、両親が日本人の場合でも適用されます。皆様のご支援で国籍法12条の撤廃を実現したいと思っています。ご支援をお願いいたします。

第6回口頭弁論

国籍法12条違憲訴訟の第6回口頭弁論の日時が決まりました。5月13日午前10時半です。場所は、東京地方裁判所705号法廷です。
東京地方裁判所の地図は、
http://www.courts.go.jp/tokyo/about/syozai/tokyotisai.html 
です。
裁判の傍聴はもちろん可能で、特に傍聴券などは要りません。時間に法廷に行けば(法廷は出入り自由です)、誰でも傍聴できますので大勢の方の傍聴をお願いいたします。

福島第一原発3号炉の燃料は何なのか?: MOX is more toxic than uranium

3月11日のマグニチュード9.0の大地震、それに続く大津波により、東日本の500kmに渡る海岸線の町が村が全滅しました。お悔やみの言葉もでないほどの衝撃でした。これだけで悲劇は終わらず、福島第一原発の事故は、手の打ちようがない状態です。消防署員、自衛隊員の健康を考えれば、放水をいつまでも続けるわけにも行かないし、たとえ、外部電源がつながったとしても、放射能の漏洩が減じても止まるわけではないし、コンクリートで埋めるにしても、6基を埋めるには相当に時間がかかるし、その間水蒸気爆発が起きる危険はないのでしょうか。
日本ではマスコミによる報道も、政府、東電の記者会見でも, 又専門家の解説にも、まったくでてこないのが、3号炉の燃料棒は何なのかということです。
3号炉の燃料は、"mixed-oxide" (MOX) fuelというもので、ウラニュウムとプルトニュウムを混ぜたものです。プルトニュウムの毒性は、ウラニュウムの2百万倍と言われています。またその半減期は24, 000年です。 一度放出されると毒性はほぼ半永久的に衰えず、次から次へと健康被害を及ぼす危険な放射性物質です。 Googleに“Plutonium in Fukushima”で検索をかければ、数十の検索結果が出てきてそのほとんどが、科学者によるサイトです。一方”福島第一原発のプルトニュウム”で検索をかければ、ほんのわずかの検索結果が得られるだけでそれらも、私のような素人のブログ記事がほとんどです。
この世界の認識と日本の認識の違いは何なのでしょうか。日本の場合は、パニックを避けるために、政府、マスコミが事前了解の上で一種の報道規制をやっているのでしょうか。隠してもいずれ真実がわかれば、そのときに起きるパニックは、はじめから事実を報道したとき以上のパニックを起こすのではないでしょうか。マスコミは、政府との記者会見のせきで、会場の空気を読まずに、「3号炉の燃料は何ですか。」と聞いてください。
政府には、次のことを要求します。
1.3号炉の燃料について説明し、プルトニュウムの放出があったのかについて事実を述べること。
2. 福島第一原発から20〜30kmの屋内退避者を30km圏外に直ちに強制退避させること。(救援物資を運ぶ、民間、自衛隊のトラックを住民退避のために流用する。犬、猫などのペットならびに酪農家の牛馬も家族としてトラックに同乗させて避難させる。)
3. 20km圏内に放置された、犬、猫等のペットならびに酪農家の牛馬の救出を行う。
4. どのように収束するのか、シナリオを作成し、公表すること。自衛隊員、消防署員の英雄的な放水も、政府がその放水を利用しながら、どのような次の手を考えているかをいくつかのシナリオで説明すること。例えば、放水の間に、外部電源をつないで、冷却システムを稼働させると、政府は言っていますが、外部電源をつないでも冷却システムが稼働しないときはどうするのか。作業中に放射線量が増えて近づけないときはどうするのか。冷却システムが稼働しても、ほとんどの炉で、格納容器が破損しているので放射線量が減少しても放射線の放出は続くわけで、どうするのか。コンクリートで埋めるとして、どういう工法、工程で行うのか。放射線を浴びながらの作業はどのくらいかかるのか。工事中に水蒸気爆発のような甚大な事故が発生したときにはどうするのか。プルトニュウムの放出が起きたときには、何キロ圏の住民の退避を行うのか。どこに退避させるのか。プルトニュウムが東京都心で検出されたときにはどうするのか。

3号炉にプルトニュウムが使われていることを知れば、アメリカが、80kmを退避圏としたのは、枝野官房長官が、「自国の国民を守るために保守的な数字をいうのは理解できる」ではなく、科学的根拠のあること(例えば、3号炉が、水蒸気爆発したときに非常に重いプルトニュウム汚染を避けられる距離)だと思われます。

第2次大戦中には、玉砕の美名のもとで棄軍が行われ、日本人移民を棄民した国は、今、屋内退避という名目で危険な地区に人々を放置しています。今も、戦争中の大本営発表と同じ情報操作を政府が行い、マスコミはそれに追随しています。

参考:
Fukushima I Nuclear Power Plant Reactor 3 explosion on March 14, 2011
http://www.youtube.com/watch?v=T_N-wNFSGyQ

MOX plutonium fuel used in Fukushima's Unit 3 reactor two million times more deadly than enriched uranium
http://www.naturalnews.com/031736_plutonium_enriched_uranium.html#ixzz1HFXPQZn7

Plutonium fuel inside one reactor, different from the uranium used in the other reactors, may take longer to cool down than others, raising its risks. Barrett calls that a very small concern.
http://www.usatoday.com/news/world/2011-03-15-1Aquake15_ST_N.htm

The No. 3 reactor has been the top priority for authorities trying to contain damage to the plant and stave off a possible meltdown. Its fuel includes a small percentage of plutonium mixed with the uranium in its fuel rods, which experts say could cause more harm than regular uranium fuels in the event of a meltdown.
http://www.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/03/21/japan.nuclear.reactors/index.html?iref=allsearch

The multiple cooling system failures at Fukushima Dai-Ichi could increase cancer fatalities if Unit 3 explodes, according to Ed Lyman, a senior scientist in the Global Security Program. An expert on nuclear weapons policy , nuclear materials and nuclear terrorism, he has revealed on the All Things Nuclear.org website that Reactor Unit 3 runs on mixed-oxide (MOX) fuel in the core.The BBC reported that a former nuclear power plant designer warned that the Japanese government is suppressing information about the nuclear disaster. Masashi Goto told a news conference in Tokyo that one of the reactors at the Fukushima-Daiichi plant was “highly unstable”, and that if there was a meltdown the “consequences would be tremendous”. He said such an event might be very likely indeed.
http://www.huntingtonnews.net/2427

At a press conference in Tokyo, Masashi Goto, who worked for Toshiba as a reactor researcher and designer, said the mixed oxide (MOX) fuel used in unit 3 of the Fukushima Daiichi nuclear plant contains plutonium, which is much more toxic than the fuel used in the other reactors.
http://news.cnet.com/8301-11386_3-20042852-76.html#ixzz1HHsqpcFz
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