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空気を読むな、風を読め!!

KYという言葉が、『空気を読むな』の略ではなく、『空気の読めない奴』の略だと知り驚いた。空気を読むとは、その場の気配、あるいは議論の行き着く先を読んで、自分の意見をその場の雰囲気に合わせて述べ、あるいは違った意見を述べずにその結論が正しかろうが正しくなかろうが、目立たず無難に過ごすという生き様のことを言う。このような生き様は、我々の時代では、屑(くず)と呼ばれていた。ところが、今や、空気の読めない奴(KY)が屑と言われるらしい。
山本七平  は1944年5月第103師団砲兵隊本部付陸軍砲兵見習士官・野戦観測将校(のち少尉)として ルソン島における戦闘に参加。1945年8月15日、ルソン島北端のアパリで終戦を迎える。同年9月16日、マニラの捕虜収容所に移送される。1947年にマニラから帰国した。
『私の中の日本軍』
『一下級将校の見た帝国陸軍』
『「空気」の研究』
スタンダールの研究者であった大岡昇平は、1944年(昭和19年)3月 - 教育召集。7月フィリピン・マニラ着。暗号手としてミンドロ島サンホセに駐屯。
1945年(昭和20年)1月 - 米軍の捕虜になり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容される。8月 - 敗戦。同年12月、帰国した。
『俘虜記』
『レイテ戦記』
『野火』
二人は、奇しくも、1944年5月から1945年12月までの1年と7ヶ月の間同時にフィリピンにいた。地獄のフィリピンの戦いに放り込まれ、生還した。大岡昇平は戦死率97%というレイテ戦を経験した。大岡昇平にとって、あの戦いは何だったのかが、最大の疑問であった。情報が統制され、前線の兵士は訳が分からぬまま、玉砕し、あるいは餓死した。大岡昇平は、『レイテ戦記』により、自分のおかれた場所、時間を歴史の流れの中でで検証しようとした。『レイテ戦記』は、文字通り彼のライフワークであり、死の直前まで、アメリカの国立公文書館で、新しい戦時資料が公開されるたびに、『レイテ戦記』を訂正し加筆した。
山本七平の関心はは、なぜこのような無謀な戦争が決定されていったのかにあり、日本人の思考プロセスを徹底的に解剖していった。『「空気」の研究』は、その集大成である。日本人の総体としての意志は、論理的な思考プロセスをへて決定されることはなく、その場の「空気」により決定される。「とても異論を挟めるような空気ではなかった。」、あるいは、「とてもそんな話を持ち出せる空気ではなかった。」など、あらゆる物事を決める局面で、この「空気」が支配し、決定する。山本七平の『「空気」の研究』をぜひ、読んでいただきたい。

今、日本の若者が、KYと言って空気を読まない若者を差別し排除するのは、由々しい事態ではないのか。これらの若者が、企業、政府、地方自治体に就職し、すべての決定を、ただその場の空気に任せるとするなら、日本が先の大戦で敗北したように、彼らの就職した企業、政府、地方自治体も同様に壊滅する憂き目に遭うのではないのか。この空気が支配し決定する日本的メカニズムを完全に払拭する唯一の方法は、日本語を使わずに、英語で議論するしかない(仏語でもその他の言語でもよいのだが、最も普及度の高い意味で英語とここでは言っておく)。
日本の一部大手企業で社内の公用語を英語にしたり、会議は英語で行うというのも、一義的には、マルチナショナル化した社員の情報のレベルを均一化することを目的としたものだが、それ以上に、企業の意思決定を徹底的な議論により、「空気」による支配を避け、論理的に行おうとする企業の意志の現れではないのか。就職に右往左往し、KYと言って正当な議論を排除する若者は、将来も存続する企業には就職はできないのではないか。しっかりしたヴィジョンを持つ企業は、KYなどという若者を決して採用しないからだ。
「空気を読むな。風を読め。」と言いたい。ここでいう「風」とは、「時代の風」である。すべての組織の長たるものは、「風」が読めなければならない。
歴史上の人物で、「風」が読めたのは、勝海舟、坂本龍馬、吉田茂ぐらいではないのか。風見鶏と言われた中曽根康弘氏も、風見鶏というぐらいだから、かなり「風」が読めた。ただ、「空気」も読んで、生臭さが漂うところが難である。
民間人では、トヨタの奥田 碩をあげたい。奥田は、1972年から1979年までマニラの所長を務めた。上司と対立したための左遷であったが、奥田は、自分にまつわる風評は全く異に介せず(「空気」を読まなかった)、7年間の不遇(本人は不遇などという気持ちは全く持っていなかったと思うが)の時も時代の風をしっかり読み切っていた奥田は、1995年に、トヨタの第3代取締役社長に就任した。
翻って、菅総理はどうだろうか。日本が未曾有の危機にあるときに批判は避けたい。政治の混乱が進めば、国債の格付けが下がるのは必定で、結果誰が政権を取ろうとも、国債の利払いが、国家予算のかなりの部分を占め、予算が組めない事態となろう。菅の後を、前原がとろうが、岡田がとろうが、短命は明白で、自民党は、赤字国債の元凶でとても政権を担えないとするならば、日本の政治が経済の前にあるいは同時に崩壊してしまうのではないか。かといって、菅の前に与野党が大同団結して国難を乗り切るというような夢のようなことも考えにくい。菅氏のぶちあげた『平成の開国』も、一見時代の風を読んだような印象を与えたが、後が続かず、政財界の空気を読んだだけのスローガンとしか思えない。不条理のない日本と言うなら、カルデロンノリコさんのご両親を日本に呼び寄せて再会させてあげたらどうか。国籍法12条違憲訴訟の判決が出る前に、「棄民政策は日本の国策ではない。国籍法12条は親の過失ともいえない過失に対し、本人の意思を問わずに子供の国籍を剥奪する非人道的な法律で、現政権はこの法律の存在を受容できない。」と宣言したらどうか。それをしないで国民の顔色を伺い、野党の顔色を伺っていたら、まさにそれこそが、空気を読んで風が読めないリーダーの烙印が押されてしまうのではないか。

菅首相、日本は今存亡の危機にあります。ぜひ風を読んで、いや自ら風を巻き起こして日本の危機を救ってください。





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