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控訴理由書その2

控訴理由書その2は20ページから45ペ−ジまでです。
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第3 「実効性がない形骸化した日本国籍の発生の防止」という立法目的の合理性

1 国籍の実効性を問う立法目的が特異なものであること
 原判決は、「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高いためそのような実効性がない形骸化した日本国籍の発生をできるだけ防止する」(以下、「実効性論」ともいう)ことが法12条の立法目的の一つである、とする。
 これに対し、第2、1、(1)で指摘したように、最判平成14年11月22日及び最大判平成20年6月4日は、法2条1号及び法3条1項による国籍取得は、血統主義に基づくもの、あるいは血統主義を補完するものであることを明言しており、そこでは生来的に取得した日本国籍あるいは届出によって後発的に取得した日本国籍が実効性を有するか否かをさらに問う、という観点は一切存在しない。
 このように、国籍の取得に当たってその「実効性」を問い、「実効性」を欠く国籍はその取得を認めない、という立法目的は、国籍法全体の中でも法12条に特有のものである。

2 原判決における「実効性論」の合理性の根拠
 原判決は、法12条のかかる立法目的に合理性が認められる根拠として、「国籍は、…本来、国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」り(原判決7頁)、「実効性のない形骸化した国籍の発生を防ぐということは、国籍の本質に関わる重要な理念である」(原判決8頁)と判示する。
 原判決はまた、「国家とそのような真実の結合関係のない者に対して国籍が付与されるならば、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないことになるとともに、国際法的に見ても、形骸化した国籍を有する者に対して、国家が外交保護権を行使することが許されるかなどの種々の問題が生じることになる」と判示し、ノッテボーム事件に対する国際司法裁判所の1955年4月6日判決を指摘する。
 そこで、原判決のいう「国家との真実の結合関係」とは何か、原判決が指摘する弊害論の具体的な内容、法12条の適用対象者に限ってのみ国籍の「実効性」を要求する理由は何か、について検討する。

3 「国家との真実の結合性」とは何か
(1) 先に指摘したとおり、原判決は、「国籍は、…国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」ると判示する。
ア 国際法上、国籍は「国家との真正な結合関係を有する者に付与される」との理解が定着している。すなわち、国際司法裁判所は、1955年のノッテボーム事件判決において、「国家慣行、仲裁裁判および司法裁判の判決ならび学者の意見によれば、国籍は、結付きという社会的事実、つまり、権利・義務の相互性と接合された生存、利害及び感情の真の連帯性を基礎とする法的きずなである」と判示している(甲57(皆川判例集)・487頁)。かかる理解は、1997年ヨーロッパ国籍条約2条a号(「国籍」とは、ある者と国家との法的紐帯をいい・・・」)にも現れている(乙12・1212頁)。原判決が「国家との真実の結合関係」としているのも同じ趣旨と解される。
 しかしながら、国際法上言われる「国家との真正な結合関係」とは、ある国では血統であり、またある国では地縁である。すなわち、法制度としての血統主義又は生地主義が「国家との真正な結合関係」の有無を判断する指標とされているのであり、血統主義国においてはその国の国籍を有する親の子として出生することが、また生地主義国においてはその国の領土内で出生することが、その国との「真正な結合関係」の証明となり国籍付与の根拠となるのである。このことは、歴史的に、世界各国が血統主義ないし生地主義を自国の国籍付与要件として定めてきたという社会的事実から明かである。
イ 日本の国籍法について見るならば、法2条1号が規定する(父母両系)血統主義が生来的国籍取得の基本原則であることは異論のないところであり、上記各最高裁判決もそれぞれその旨を明言している。したがって、日本の国籍法は、日本人親の子として出生したことを以て、「日本との真正な結合関係」を有するものとし、その者に日本国籍を付与するものである。
ウ 本件原告らを含む法12条適用対象者は、いずれも日本人親の子として出生した者である。日本の国籍法は、この事実をもって、既に日本との「真正な(あるいは真実の)結合関係」を有するとするのであり、さらに何らの要件も付加されることなく日本国籍を取得する(そして当然これを保持する)はずのものである。
エ したがって、「国籍は、…国家と真実の結合関係のある者に対して付与されるべきものであ」るとの原判決の判示は、国外出生重国籍児に対してさらに国籍の「実効性」を要求することの根拠たり得るものではない。

(2) ところで、原判決は「実効性のない形骸化した国籍の発生を防ぐということは、国籍の本質に関わる重要な理念である」(原判決8頁)と判示する。しかしながら、この「国籍の実効性」が日本の国籍制度において問題とされたのは、国籍法制の歴史の中ではごく最近のことである。
ア 旧国籍法時代の国籍喪失制度(20条の2)は、日系移民の排斥運動を阻止し移住先現地への定着と同化を促進することが目的であるとされ、また改正前現行法時代の国籍喪失制度(9条)も生地主義国で出生したことにより外国籍を取得した者を対象としていたにもかかわらず、旧国籍法から改正前現行法に至る国籍喪失制度の変遷の過程で、実効性論が示されたことはない。
イ また、昭和59年改正は、昭和56年10月30日に法務大臣から国籍法の改正の要否について諮問を受けた法制審議会が検討を開始したことによってスタートし、昭和58年2月1日に、国籍喪失制度を維持するA案とこれを廃止するB案を併記したいわゆる中間試案の公表によって改正案が初めて具体的に提示されたが、この時にも国籍喪失制度の立法目的として実効性論が提唱された事実はない。
 すなわち、中間試案の公表後、昭和59年2月23日に法制審議会が国籍法の一部を改正する法律要綱案を採択して法務大臣に答申し、同年3月28日に国籍法改正案が国会に提出され、4月25日に衆議院本会議で、5月18日に参議院本会議で、それぞれ可決し、成立した、という経緯をたどったが、この過程における国籍喪失制度に関する論議を見ると以下の通りである。
① 昭和58年4月15日発行の甲33・52頁第2段冒頭では、「現行法における重国籍解消のための最も重要な定めである国籍留保について、中間試案は、存続と廃止の両案を併記している。」としている。
② また、昭和58年7月30日発行の甲34・14頁は、「現行法上重国籍解消の機能を果たしている留保制度をいかにするかにつき制度の拡張論と廃止論とを併記した」としている。
③ 昭和58年3月発行の甲35・26頁は、戦前の国籍喪失制度は日系移民排斥運動が背景にあったことを指摘した上で、「最近では、戦前のような異常な状況下にはないが、この制度が我が国の移民の外国への定住を促進している面は否定できないであろうし、また、実際の社会生活の中で、日本国籍との重国籍になっていることによる不利益を受ける可能性が残されているとすれば、この制度もその回避の効用を果たしているであろう。」としている。
④ 昭和58年5月15日発行の甲36・77頁第4段末尾乃至78頁において、「「留保」は試案の第四の二ですが、…重国籍の発生自身をできれば出生時において防止するという観点から考えられるもう一つの重国籍対策かと思います。」としている。
 以上の通り、中間試案の公表とその内容を巡る論議の過程においても、「国籍喪失制度は実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生を防止しあるいは解消することを目的とした制度である」という説明は一切なされていない。このような説明が行われるのは、昭和59年2月23日の改正法律要綱案発表以降のことである。
ウ このような論議の経過を見れば、国籍喪失制度における「国籍の実効性」という立法目的は、昭和59年改正以前はもとより、同改正作業の過程でも昭和59年2月の法律要綱案の策定までは立法担当者の念頭には全く存在しなかったことが明らかである。しかも、昭和58年2月の中間試案公表後、翌59年2月の法律要綱案の策定に至るおよそ1年間の間に、実効性論がどのような経緯で発案され、どのような議論を経て新たな立法目的として承認されるに至ったのか、その経緯は明らかではなく、わずかに国会答弁等から「ノッテボーム事件判決に着想を得た」ことがうかがわれるのみである(しかもこのインスピレーションが誤りであることは後述するとおりである)。この立法目的が、原判決が言うように真に「国籍の本質にかかわる重要な理念である」のか、重大な疑問があるものと言わざるを得ない。

4 国内法上の権利義務の行使あるいは履行に関する看過し難い重篤な事態について
(1) 原判決は、「国家と真実の結合関係のない者に対して国籍が付与されるならば、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないことになる」「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」と判示する。
 しかしながら、そもそも原判決が指摘する「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行」とは具体的にどのような権利義務を想定しているのか、全く不明である。また、「国内法上看過しがたい重篤な事態」というのも、具体的にどのような事態を想定しているのか、全く明らかではない。要するに、原判決が懸念を示す弊害はあまりにも抽象的・観念的であり、現実的・具体的な弊害とは言い難いのである。
 また、後述するように、日本国外で出生し、法3条1項によって日本国籍を取得した後も国外で生活するケースや、法12条の国籍留保届をした後も国外で生活するケースにおいても、国内法上の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないという事態が生じることは容易に推測される。しかるに原判決はこれらの事態が「国内法上看過しがたい重篤な事態」であるとは捉えていないのであるが、何故に法3条1項により日本国籍を取得しその後も国外に居住する者や、国籍留保した後も国外に居住する者について生じる「国内法上の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できないという事態」は看過し得るのに、法12条の留保届を行わなかった者についてだけ、かかる事態が看過しがたい重篤な問題であるとされるのか、その根拠は全く不明である。

(2) 国家との実質的な結合関係が認められず、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞る現実の例として、戦前・戦中に外国に移住し、戦後日本に帰国せず(または帰国できず)、日本人親の戸籍にも記載されず、当該外国で生活を余儀なくされた、いわゆる残留孤児のケースがある。
 残留孤児は日本人父の子として外国で出生し、旧国籍法20条の2の国籍喪失制度の対象者ではないために、出生によって日本国籍を取得したが、その出生が日本に届けられないまま終戦を迎え、あるいは外国人親に引き取られ、あるいは日本人として名乗り出ることができなかったために、その出生国の国民として長年生活してきた。その間、日本国とは全く接触を持つことができず、原判決の判示するところに従えば、「国家と真実の結合関係」は全く存在せず、「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行」は全く不可能であり、「その権利義務の実効性」は全くなかった。したがって、原判決によれば「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」はずである。
 しかるに、現実には、今日、残留孤児の日本国籍を復活させることに何らの支障もない。
 (なお、残留孤児は必ずしも重国籍とは限らないが、日本国との実質的な結合関係が存在しなかったという点では、原判決の判示するところと全く同一の問題状況が存在する。)

(3) また、昭和59年改正前に、日本人父と、父母両系血統主義の国の女性である母との間の子として日本国外で出生した重国籍児も同様のケースである。
 当該子には改正前法9条は適用されないため、当該子は出生により日本国籍及び母の国籍を取得し、重国籍のまま日本国外に長年居住しており、日本との結合関係は全く存在せず、国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行も全くない。しかしながら、これらの者は長年月を経て日本に出生届をすることによって、問題なく日本国民として扱われ、その際に国内法上看過しがたい重篤な事態は発生しない。

(4) このように、原判決がいう「国内法上看過しがたい重篤な事態」が発生するおそれ、というのは何ら実証されていない、観念的・感覚的なものにすぎないのである。

5 ノッテボーム事件判決を立法目的の根拠とすることの誤り
(1) 原判決は、実効性論が法12条の立法目的として合理性を有することの根拠として、国際司法裁判所1955年4月6日ノッテボーム事件判決を引用する。
 法12条の立法目的としての実効性論の合理性の根拠として原判決が判示する内容は、前述の通りいずれも抽象的・観念的であり、唯一このノッテボーム事件判決のみが具体的な摘示ということができる。
 しかしながら、原判決のノッテボーム事件判決に関する理解は明らかに重大な誤りを犯しており、この点は次項において指摘するとおりである。
 そればかりでなく、そもそも法12条はその制定過程から見て、ノッテボーム事件判決の考え方を踏まえて制度設計されたものとは言い難い。

(2) ノッテボーム事件判決が法12条の立法目的である実効性論の根拠となったことは、被控訴人国も原審において「国籍の実効性という概念が国際法の領域において意識的に取り上げられ、これが国籍における基本的な概念として明確化されたのは、1955年にノッテボーム事件に関する国際司法裁判所判決が出されたころのことであった。」(被告第3準備書面26頁)、「この国籍の実効性の考え方がノッテボーム事件のころに意識的に用いられるに至った概念であって」(被告第4準備書面20頁)等と主張していたとおりである。
 しかしながら、ノッテボーム事件判決が出されたのは1955年、すなわち昭和30年である。昭和59年改正の過程で中間試案が公表された昭和58年まで約28年もの時間の間隔があり、その間にノッテボーム事件判決については多くの研究と評釈がなされていたはずである(例えば甲57は1975年発行であるし、乙11末尾記載の参考文献のうち「金城清子『高野判例』」(正式には、金城清子『ノッテボーム事件』高野雄一編著『判例研究・国際司法裁判所』、東京大学出版会)は1965年の発行である)。しかるに中間試案では国籍喪失制度の存続(A案)と廃止(B案)の両案が併記されたが、そこには前述の通り実効性論に関連する視点は全く言及されていないのみならず、ノッテボーム事件判決にも全く言及されていない。このことは、中間試案策定・公表の時点では国籍喪失制度の立法目的としての実効性論も、その根拠としてのノッテボーム事件判決も、何ら考慮されていなかったことを示すものである。

(3) 他方、昭和59年2月に策定された法律要綱案の説明において、法12条の立法目的として実効性論が提唱され、その根拠としてノッテボーム事件判決に言及されるようになった。
 ところで、ノッテボーム事件判決では、ある国籍国が外交保護権を行使しうるための国籍の実効性を判断する際の要素として、「伝統、定住、利害関係、活動、家族関係、近い将来の意図」を考慮すると判示しており、この点が同判決の重要なポイントともなっているのである。しかるに、昭和58年に公表された中間試案にA案として記載された国籍喪失制度と、昭和59年に策定された法律要綱案に記載された国籍喪失制度は全く同一の内容であり、ノッテボーム事件判決が示した、国籍の実効性を判断する要素について検討した形跡は全く存在しない。また、法律要綱案策定後の国会答弁や文献における解説においても、「ノッテボーム事件判決の考え方に依った」と述べるのみで、ノッテボーム事件判決が提示した判断要素をどのように考慮して法12条の要件を定めたのか、全く示されていない。

(4) そもそも、ある制度の創設に当たっては、先に立法目的が存在し、この目的を実現するために必要な制度設計がなされるはずである。もともと「重国籍発生の防止・解消」という立法目的から改正前法9条を改変する形で制度設計された法12条に、もともと立法目的として存在しなかった実効性論が後から付け足され、しかもそれによって制度設計に何の変更もなされないというのは、考え方も手順も全く逆であり、その立法目的と当該制度が真に適合しているのか疑問を抱かざるを得ない。端的に言えば、当該制度の設営に当たって、そのような立法目的などあってもなくても変わらない、というに等しいのである。
 以上の通り、「実効性論」の合理性をノッテボーム事件判決をもって根拠づけようとすること自体が、この立法目的の合理性の欠如を示すものである。

6 国際法上の看過し難い事態について−ノッテボーム事件判決に関する原判決の誤り
 前述の通り、原判決は実効性論の根拠としてノッテボーム事件判決を引用し、「国際法的に見ても、形骸化した国籍を有する者に対して、国家が外交保護権を行使することが許されるかなどの種々の問題が生じることになる」と述べ、実効性のない形骸化した国籍の発生を防止することが立法目的としての合理性を有すると判示する。しかしながら、当該判示は、ノッテボーム事件の理解、ひいては国際法の理解を誤ったものであり、失当である。
 そもそも、ノッテボーム事件国際司法裁判所判決は、本件で問題となっている国籍取得/喪失の要件について判示したものではないのであるから、同事件を引用して、被控訴人が主張する実行性論を根拠づけることはできない。すなわち、同判決が判示する、いわゆる「実効性ある国籍原則」は、当該国が当該国民の国籍国であることを対外的に対抗するため(例:他国に対して外交保護権を行使する等)に必要な要件として当該国籍が実効性あるものでなけれなばらない、としたものであって、当該国が国籍を付与するないし喪失させる際の要件として国籍の実効性の有無を加味しなければならない、としたものではないのである。

7 法3条1項によって日本国籍を取得した者についても国籍の実効性を欠く事態が生じること
(1) 原判決は、法12条の適用対象者について、「外国で出生した日本国民で外国の国籍も取得した者は、日本で出生し日本国籍だけを取得した者と比較して、出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強いことから、①日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」と判示する。
 しかしながら、原判決の論理によれば日本国籍が実効性を欠く形骸化したものとなる可能性が相対的に高いこととなる者は、法12条の適用対象者のみではない。

(2) 法3条1項(平成20年改正の前後を通じて)の適用対象者は、出生時に外国籍を取得している点で法12条の適用対象者と共通である。そればかりか、出生時に日本国籍を有しない点では、唯一の国籍国である当該外国との結合関係は法12条の適用対象者よりも遙かに強いということができる。そして、その子が外国で出生した場合(国外出生子も法3条1項の適用対象であることは争いがない)には、その者の出生国との地縁的結合の度合いは、法12条の適用対象者と同じである。
 したがって、日本人父の非嫡出子として日本国外で出生し、出生後に日本人父から認知を受けた子は、「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」という点で、まさに原判決がいう「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」類型に属するものである。
 しかるに、これらの者は法12条適用対象者と異なり、国籍の実効性が問われることはない。

(3) 上述した不合理は、控訴人ダイチとその兄姉との間に顕著に表れている。
ア 控訴人ダイチの父・丸山峯男と母ジーナの間には、控訴人ダイチの出生以前に、4人の子ども、丸山美奈(1989年12月15日生)・丸山岳彦(1992年11月30日)・丸山蔵人(1995年2月1日生)・丸山亜美子(1996年5月8日生)が存在する。
 これら4人の子(以下「丸山4兄弟」という。)はいずれも婚外子であった。しかし父丸山と母ジーナは1997年2月10日に婚姻し、丸山は1998年2月18日に4兄弟を認知した。そして認知から約6ヶ月経過した後の同年8月14日に、平成20年改正前法3条1項の届出を行い、丸山4兄弟は全員が日本国籍を取得した(甲2)。
 他方、控訴人ダイチは、丸山とジーナの婚姻後の1997年11月6日に嫡出子としてフィリピンで出生した(甲1)。しかし、既に原審原告ら準備書面(1)の1の(3)(4)(4頁~5頁)で述べた経過を辿り、その出生後3ヶ月以内に国籍留保の意思表示をすることができなかったため、控訴人ダイチは日本国籍を喪失した。
イ 原判決の判示に照らせば、丸山4兄弟はいずれもフィリピンで出生し、出生によってフィリピン国籍を取得した点で、「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」といえる。そしてその状態は国籍取得届出当時まで継続していた。そもそも4兄弟は、出生時に日本国籍を有していなかった(法的には純然たる外国人だった)のであり、その出生時に日本との法的な繋がりは何ら有していなかったのである。
 このように、国籍取得時点でのフィリピンとの結合関係及び日本との地縁的結合の点で丸山4兄弟と控訴人ダイチとの間には何らの違いもない。然るに、改正前法3条1項が適用された丸山4兄弟については、その取得する国籍が実効性を欠く形骸化したものになるか否かを問うことなく当然に国籍取得が認められたのに対し、控訴人ダイチは出生によって取得したはずの日本国籍を「実効性を欠く形骸化した国籍になる可能性がある」として喪失したのである。

(4)ア 国は、このように日本国外で出生し、法3条1項の届出によって日本国籍を取得した後も日本国外で生活する日本国民の数やその所在場所を把握しておらず、またこれを把握するための作業も行っていない。
 したがって、これらの日本国民について「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保できない」ことになり、「国内法…上も看過しがたい重篤な事態が生じかねない」はずである。しかるに法3条1項は、かかる自体を何ら問題視していないことが明らかである。また実際にも、丸山4兄弟について「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保でき」ないことによる「国内法…上も看過しがたい重篤な事態」は何ら生じていないのである。
イ また、国がその所在を把握していないこれら日本国民については、仮に第三国によってその権利が侵害されたとしても、外交保護権を行使することができず、国際法上及び国民の権利保障並びに国家の保護義務履行の関係上「看過し難い事態」が生じることになるが、この点についても法3条1項は何ら問題視していない。
ウ このように、原判決のいう「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」ために「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」とされる者は、法12条の適用対象者に限らない。それにもかかわらず、法12条適用対象者に限って「国籍の実効性」を要求し、「実効性のない国籍の存在は国内法及び国際法上看過し難い重篤な事態を生じかねない」とするのは、明らかな誤りである。

8 国籍留保をした者の日本国籍も実効性を欠く形骸化したものとなる可能性があること
(1) 原判決は、「国籍留保の意思表示をされた子は、…類型的に我が国との結び付きが強いものということができ、反対に、国籍留保の意思表示がされない子は、実効性のない形骸的な日本国籍を有する重国籍者となる可能性が相対的に高いということができる。」と判示する(原判決14頁)。ここで「我が国との結び付きが強い」とは、「その日本国籍が実効性を有する」との意味であると解される。

(2) しかしながら、親が国籍留保の意思表示をしたからといって、その子のその後の生活や日本との繋がりが、国籍留保をせずに国籍喪失をした子と決定的に異なる、とする根拠はない。親が国籍留保の意思表示をした後もその子が当該外国に留まり、日本との具体的な接点を持たなかった場合、その生活実態は親が国籍留保の意思表示をしなかったために日本国籍を喪失した子と何ら変わらない。その場合、両者の違いは、出生後3か月以内に親が在外日本公館に出生届を提出し、その届出用紙の「日本国籍を留保する」との欄に署名したか否か、だけである。
 原判決は、「国籍留保の意思表示をされた子は、その親が子の福祉や利益の観点から日本国との結び付きを強め、日本国民としての権利を有し義務を負うことが相当であると判断したものと考えられるのであるから、類型的に我が国との結び付きが強いものということができ」る、と判示する(原判決14頁)。しかしながら、国籍留保の意思表示を行った時点での親の純然たる内心の動機のみによって、子の国籍の実効性、言い換えれば子と国家との結び付きという(内心の意思とは全く別物の)外部的な要素に質的に決定的な差異が生じた、とするのは全く根拠がない。親が子の国籍留保の意思表示はしたものの、その後その子と日本の結びつきを強め、国内法上の権利を行使し義務を履行するための何らの行動も行っていない場合には、国籍留保によって日本国籍を保持した子と、国籍留保せずに日本国籍を喪失した子との間には、「親が国籍留保の届出をしたか否か」の一点以外に何らの差異はないのである。

(3) 上述の不合理は、控訴人ヒロコとその妹との間に顕著に表れている。
ア 控訴人ヒロコは、1990年4月4日、石山博美と妻アナベル・フェルナンデス・イシヤマの長女としてフィリピンで出生した(甲1)。しかし、既に原審原告ら準備書面(1)の2の(3)(7頁)で述べた経過を辿り、国籍留保の意思表示を行うべき期限を1週間徒過したことから「その日本国籍が実効性を失い形骸化したものとなる可能性が相対的に高い」者であるとして、日本国籍を喪失した。
 他方、控訴人ヒロコの妹・石山智恵子マリー(1991年11月10日生)は、その出生後3か月以内に父石山が出生届及び国籍留保届を行ったことにより、「類型的に我が国との結び付きが強いもの」として日本国籍を保持した(甲4)。
イ 妹の智恵子マリーは、その出生後現在まで控訴人ヒロコ及び両親とともにフィリピンで生活しており、その出生後の生活歴を通じて、日本との接点(日本国民としての権利の行使及び義務の履行状況)について日本国籍を喪失した控訴人ヒロコと何ら異なるところはない。
 原判決は智恵子マリーについて、その出生後3か月以内に国籍留保の意思表示がなされたことをもって、「類型的に我が国との結び付きが強いもの」とし、控訴人ヒロコについてはこれと対比して「その日本国籍が実効性を失い形骸化したものとなる可能性が相対的に高い」としてその日本国籍の喪失が是認されるものである、とする。しかしながら、両者の生活実態を対比するならば、原判決がいう「国籍の実効性」について両者の間にいかなる差異も存在しない。また、智恵子マリーについて「国内法上の各種の権利義務の行使あるいは履行が滞り、その権利義務の実効性が確保でき」ず、「国内法…上も看過しがたい重篤な事態」は何ら生じていない。さらに言えば、控訴人ヒロコについてその国籍留保の意思表示の期間を徒過した時点と、智恵子マリーについて国籍留保の意思表示をした時点とで、両者の将来の生育の見通しや計画については、何らの差異もなかったのである。
ウ このように、原判決のいう「出生時の生活の基盤が外国に置かれている点で我が国と地縁的結合が薄く、他方で外国籍を取得している点でその外国との結合関係が強い」ために「日本国籍を取得しても、実効性がない形骸化したものになる可能性が相対的に高い」状態は、法12条による国籍留保の意思表示を親が行わなかった子についてのみ発生するものではないことが明らかである。それにもかかわらず、法12条の親が国籍留保の意思表示をした者に限って「国籍の実効性が認められる」とし、「実効性のない国籍の存在は国内法及び国際法上看過し難い重篤な事態を生じかねない」とするのは、明らかな誤りである。

9 結論
 以上述べたところより、「実効性を欠き形骸化した日本国籍の発生の防止」という法12条の立法目的に合理性がないことは明らかである。 

第4 「重国籍の発生のできる限りの防止・解消」という立法目的の合理性

 1 「重国籍防止の要請」に関する原判決の考え方の問題
 (1) 原判決は、国籍喪失制度の立法目的の第2として、「②弊害が大きいとされる重国籍の発生をできる限り防止し解消すること」(原判決7頁)を挙げ、その理由として「国籍は、国家の基本的構成要素である国民、すなわち、国家の主権者たる地位ないし権利と共に国家の統治権に服する地位ないし義務を持つ者の範囲を画するものであって、1人の人間に対し複数の国家が対人主権を持つこと、又は国民に主権がある国において1人の人間が複数の国に対して同時に主権を持つということは、主権国家の考え方とは本質的に相容れないというべきである。」(原判決8頁)と判示する。
 この「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」との原判決の判示は、これを言葉の通りに理解するならば、「重国籍防止の要請」を極めて厳格に捉える立場といってよい。この考え方からするならば、主権国家と複数の国籍を持つ国民との併存は極めて重大な問題であり、国家間の主権及び国家の対人主権の保持のためには、重国籍はそもそも発生を厳格に抑止し、万が一重国籍が発生してしまった場合には、直ちに解消されなければならないものであることになる。

(2) 講学上の議論のひとつとしては、このような厳格な重国籍抑止論もあるかもしれない。しかしながら、本件訴訟で論じられているのは、法12条という具体的な制度を支える立法目的としての「重国籍の防止・解消の必要性」である。かかる観点から見るならば、原判決が判示する厳格な「重国籍抑止論」が観念論に過ぎないことは明らかである。

(3) 日本の国籍法においても「重国籍防止の要請」はひとつの重要な立法上の理念であるとされており、控訴人らもこの点を否定するものではない。しかしながら、それはあくまでも一般的な理念であって、重国籍について現行国籍法が採用している具体的な立法政策の内容は、国籍法の条文から読み取ることが必要である。そして、重国籍の防止・解消に関する法の基本姿勢について規定した条項が存在しない以上、国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」が具体的にどのような内容であるのかは、個々の条文から検討しなければならない。このような検討なしに、観念的に「重国籍防止の要請とはかくかくのものである」と決めつけ、これを条文解釈の指標とするのは、実定法の解釈として正しいものとは言えない。
 なお、原判決は、「原告らは、昭和59年改正において、国籍は唯一であるべきという国籍唯一の原則から重国籍容認へ転換が図られたのであって、重国籍発生の予防あるいは排除が昭和59年改正後の国籍法12条の目的であるとする被告の主張は誤りであると主張する。」(原判決10頁)と判示するが、控訴人らが係る主張をした事実はない。控訴人らの主張は、「現行国籍法制においては、「重国籍防止」という立法目的は放棄こそされていないものの、その優先順位は昭和59年改正前と比較すると制度設計上も実際の運用上も著しく後退しているのであり、本人の意思を無視し、あるいはこれに反してまで重国籍の防止・解消を厳格に追及しようと言う姿勢を有するものではない、と評価するのが正当である。」(訴状21頁)、「原告らは現行国籍法において重国籍防止・解消の要請が全く放棄され、重国籍を全面的に容認している、とするのではなく、一定の範囲、しかもかなり広い範囲で認容されている、と主張するものである」(原告ら準備書面(6)3頁)、と述べている通りである。

2 国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」の具体的な内容
(1) 国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」を具体的な条文から見るならば、以下の通りである。
ア 日本国籍の取得による重国籍の発生
① 法2条1号2号は、日本国民と血統主義国に属する外国人配偶者との間に生まれた子が日本国籍と外国人配偶者の国の国籍の二重国籍者となることを容認している。
② 法3条1項は、もともと外国籍のみを有する者が、日本人父の認知を受け、さらに法務大臣に届出をすることによって、後発的に日本国籍を取得するとともに、本人又は法定代理人の意思によって重国籍となることを容認する。
③ 法17条1項2項は、いったん日本国籍を喪失し外国籍のみとなった者が、所定の条件を満たした場合に、後発的に日本国籍を取得するとともに、本人又は法定代理人の意思によって再度重国籍となることを容認する。
イ 重国籍の解消
① 法12条は、親が国籍留保の意思表示をしなかった者は日本国籍を喪失するとして、重国籍の解消を企図する。
② 法11条は、日本国民が自己の志望によって外国籍を取得したとき(1項)または外国籍を選択したとき(2項)に、日本国籍を喪失するとして、重国籍の解消を規定する。
③ 法13条は、日本国籍の離脱による重国籍の解消を規定する。
④ 法15条は、法務大臣が国籍選択の催告を行った者が1ヶ月以内に日本の国籍を選択しなかったときには国籍を喪失するとして、重国籍の解消を規定する。但し国はこの制度の適用による国籍喪失を控えており、創設以来一度も実施されていない。
ウ 重国籍の確定
① 法12条は、親が国籍留保の意思表示をした者は日本国籍を保持するとして、親の意思による重国籍の保持を容認する。
② 法14条3項は、日本国籍を選択するときは外国の国籍を放棄する旨の宣言をすることによってするとし、法16条1項は、日本国籍を選択した者は外国籍の離脱に努めなければならないとしているが、同条項は訓示規定とされており、日本国籍を選択した者が外国籍を離脱しなかった場合に、この者の重国籍を解消する制度は16条2項以外には存在しないから、この場合には最終的に本人の重国籍が確定し、以後は本人が任意にいずれかの国籍を離脱しない限り、重国籍が永続する。

(2) 以上の通り、法は日本国籍者が発生する全ての場面で重国籍者の発生を容認している。他方、日本国籍の喪失による重国籍の解消については、法12条と15条を除いて、本人又は法定代理人の積極的な意思による選択を要件としており、法15条はそもそも制度創設以来30年間に渡って被控訴人国自身によってその適用が自制されている。そして、重国籍を解消するための最終的な手続とされる国籍選択制度は、本人が日本国籍を選択し、かつ外国籍を離脱しない場合には、重国籍を解消する手だてを失う。
 このように、国籍法が立脚する「重国籍防止の要請」とは、具体的には、発生における重国籍を容認した上で、その解消を本人の意思に委ねる、という内容を持つものである。
 そしてその結果、法11条や13条によって日本国籍を喪失し、あるいは法14条によって日本国籍または外国籍を選択することによって、一定の重国籍を解消させる効果が期待できる一方で、法14条の国籍選択を行わず、あるいは日本国籍を選択した後も外国籍を離脱しないために、最終的に重国籍が解消されない者が発生する可能性も存在する。しかしながら、法及び被控訴人国は、はこれを容認しているのである。

3 被控訴人国の重国籍防止・解消に関する政策
(1) 被控訴人国は、何十万人という規模の重国籍の発生を認識しつつ、正確な把握をしていない。
 すなわち、2004年6月2日衆議院法務委員会において、日本政府は、重国籍に関する質問に対し、以下の通り答弁している(甲14)。
 日本政府が把握する重国籍者の数について、「判明する限りでの数ということで、それが完全な重国籍者数を把握しているとは言いがたいわけでありますが、少なくとも当方が把握している範囲では次第にふえてきております。昭和六十年当時は年間約一万人程度でございましたが、次第にふえまして、平成四年ごろには二万人程度になりまして、平成十四年では約三万三千人を超えているというのが私どもの把握している数でございます。」(以上、3頁目)「先ほど申し上げた数字、例えば三万人近い重国籍者というのは、平成十四年において新たに発生した重国籍者数でございます。」「その各年で把握した重国籍者として発生されたと思われる数を昭和六十年から平成十四年までを単純に合計いたしますと、約四十万人ということになります。ただ、その後の国籍の変化は必ずしも追跡調査をしているわけではございませんので、現段階においてそのとおりの数がいるかどうかは必ずしもはっきりいたしません。」(以上、4頁目)
 重国籍者の発生をどのように把握しているかという質問に対し、
「身分行為、例えば婚姻あるいは出生ということがありますと、市町村に届け出がなされます。それは監督法務局の方に届け書が送付されますので、監督法務局の方で、送付を受けた届け書等から重国籍者が判明する限りにおいて把握をしている、それ以上に積極的に捜索をするというようなことはしておりません。」(5頁目)
 昭和59年法改正に伴う附則3条の経過規定により重国籍となった者の人数を把握しているかとの質問に対し、
「数は把握しておりません。」(5頁目)
 法14条の国籍選択制度によって日本国籍を選択する旨の宣言を行った者が外国の国籍を外れたかどうかの調査を当該外国に問い合わせる等して行っているかとの質問に対し、
「本国への問い合わせまでは行っておりません。」(6頁目)

(2) 以上のように、被控訴人国は、昭和59年法改正後に発生した重国籍者の数も、重国籍が解消された数も正確に把握しておらず、重国籍の発生や解消を正確に把握する方策も有していない。さらに昭和59年法改正時に附則3条の適用によって生じた重国籍者の数さえ把握していない。また、今後重国籍者の数を把握するための方策を採る具体的な予定もない。
 このような、被控訴人国の重国籍政策(の不存在)は、(理念として重国籍の防止・解消を掲げつつ、実際の制度としては)重国籍者の発生を容認しその存続を本人又は法定代理人の意思に委ねる国籍法の制度設計と全く同じ方向性を示していることが明らかである。
 さらに指摘するならば、被控訴人国が重国籍の解消を(本人の意思に委ねる以上に)積極的に推し進めるという方針を有していないことは、法15条の法務大臣による国籍選択の催告がその制度創設以来一度も適用されていないことについて、「国籍を喪失するということは、その人にとって非常に大きな意味がありますし、家族関係等にも大きな影響を及ぼすというようなことから、これは相当慎重に行うべき事柄であろうと思っておりまして、現在までこの催告を法務大臣がしたことはございません。」(甲14・5頁)と述べていることに端的に表れているといってよい。

4 原判決の判示の矛盾
(1) 原判決は、「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」から、「できる限り重国籍を防止し解消させるべきであるという理念は合理的なものである。」と判示する。
 しかしながら、重国籍を「できる限り防止し解消する」、言い換えれば「防止も解消もできないものは存続を容認する」ことは、まさに「主権国家の考え方とは本質的に相容れない」はずである。この点でまず原判決には論理矛盾がある。

(2) また、「できる限り重国籍を防止し解消させるべきであるという理念」が国籍法においてどのように具体化されているかを見るならば、2項において既に指摘したように、
ア 重国籍の発生は広く認め(法2条1号2号、法3条1項、法17条。特に後2者は外国人がその意思によって日本国籍を取得することに起因する重国籍の発生を容認する)、
イ 法12条を除いて、重国籍の解消は本人若しくは法定代理人の意思による(法11条、13条)、若しくは本人の意思によらない重国籍の解消を自制する(法15条の運用)とし、
ウ 本人が最終的に日本国籍を選択した場合には重国籍の状態が永続することを事実上容認する(法14条3項、法16条1項)
というものである。
 このように、「重国籍の発生については広く許容し、その解消については本人の意思を尊重しその意思に反しない限りで行う」というのが、国籍法の諸制度から見えてくる「できる限りの重国籍の防止・解消」という法の理念の具体的内容である。この具体的内容と対比するとき、「重国籍は主権国家の考え方とは本質的に相容れない」という判示が著しく整合性を欠くことは一目瞭然であり、原判決が重国籍防止・解消の要請を法の諸制度の実情を無視して過剰に厳格に捉えていることは明らかである。

5 重国籍に伴う弊害に関する被控訴人国の政策
(1) 原判決は、重国籍の発生による弊害として、以下の点を挙げる(原判決8~9頁)。
① 第一に「国家は、自国民に対し、国家に対する忠誠義務、兵役義務、納税義務等の種々の義務を課し得るが、複数の国籍を持つ者は、その所属する各国からその義務の履行を要求されるところ、例えば両国が戦闘状況に入った場合の国家への忠誠義務のように、それらの義務が衝突したり抵触したりする事態も生じる」こと。
② 第二に「複数の国籍を持つ者については、複数の国家がその者に対して重複して対人主権を持つことになることから、国家間の外交保護権の衝突によって国際的摩擦が生ずるおそれも生じる」こと。
③ 第三に「重国籍者は、国家間での特別の連携制度がない限り、国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されることも可能であり、個人の同一性の判断が困難となり、複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害されたり、別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなるなど様々な深刻な事態を生じさせかねない」こと。
④ 第四に「本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることから、例えば、一方の国で婚姻が成立しているが他方の国では成立していないいわゆる跛行婚が生ずるなどによる混乱が生ずるおそれがある」こと。

(2) もし仮にこれらが「主権国家の考え方と本質に相容れない」ものであり、「国家と国家の間、国家と個人との間又は個人と個人との間の権利義務に重大な矛盾衝突を生じさせるおそれがある」のであるならば、かかる状態を放置することは主権国家として到底許容し難いはずである。
 しかしながら、原判決が指摘するこれらの「弊害」は、近年になってその存在が明らかになったものではなく、旧来より議論されてきたものである。そして父母両系血統主義を採用した昭和59年改正の時点で、立法担当者は当然これらの「弊害論」も念頭に置いていたものである。その上で同改正に踏み切ったということは、上記のような「弊害論」を何らかの形で克服していた、あるいは克服可能である、あるいは法改正を断念させるほど重大な問題ではない、と立法担当者が考えたからに他ならない。
 そしてまた、これらの「弊害」は法改正後も厳として存在していたはずであるが、被控訴人国は、これらの「弊害」を除去し、主権国家としての日本国の存立を確実にするため、あるいは「国家と国家の間、国家と個人との間又は個人と個人との間の権利義務」の「重大な矛盾衝突」を回避するために、何らの具体的な施策も実施していない。その理由は、
「古いことはわからないんですが、最近におきまして、私どもとして、具体的に重国籍で何らかの問題が生じたという事例は把握しておりません。」
との政府答弁(甲14・4頁 2004年6月2日衆議院法務委員会における房村政府委員の答弁)に端的に表れている。要するに、日本国籍と外国籍の重国籍状態は、日本が主権国家として存立するために、あるいは国家間、国家と個人、若しくは国家と国民の権利義務関係を調整するために、国が政策を策定し実施する必要があるほどの重大な問題を生じさせていないのである。

(3) 原判決が指摘する「弊害論」の個々の内容について論じるまでもなく、以上論じたところから、重国籍の存在が国家や社会に重大な問題を生じさせていないことは明らかである。要するに、被控訴人国自身が、「特段国が施策を策定し実施しなければならないほどの重大な問題ではない」と判断しているのであり、実際何ら重大な問題が発生していない、という事実が重要なのである。

6 弊害論に対する反論
(1) 原判決は、重国籍の発生による弊害について縷々指摘するが、ここで問題なのは、抽象的な「重国籍による弊害」論ではない。法12条がなければ法2条1号により日本国籍を保持できる者について、法12条によってその国籍を消滅させてまで回避すべき重大な弊害が重国籍によって発生するかどうか、である。
 かかる観点から、原判決が指摘する弊害論を検討する。

 (2) 弊害論の第一について
ア 原判決は、「国家は、自国民に対し、国家に対する忠誠義務、兵役義務、納税義務等の種々の義務を課し得るが、複数の国籍を持つ者は、その所属する各国からその義務の履行を要求されるところ、例えば両国が戦闘状況に入った場合の国家への忠誠義務のように、それらの義務が衝突したり抵触したりする事態も生じる」(原判決8頁)と判示する。
イ しかし、まず忠誠義務について言えば、少なくとも日本では国民の国家に対する「忠誠義務」という抽象的な義務を規定した法律は存在せず、「忠誠義務の衝突や抵触」という法律問題はそもそも発生し得ない。同様に兵役義務についても、日本は国民に対して兵役義務を課しておらず、その衝突を考えること自体が無意味である。この点について原判決が言う懸念は法律論ではない。
ウ 原判決は、重国籍者が有する他方国籍国と日本とが戦闘状態に入った場合の忠誠義務及び兵役義務の衝突を問題とするようであるが、そもそも戦争の放棄を謳い、平和国家を標榜する日本国憲法の下で、重国籍者について日本と他方国籍国との戦闘状態下での忠誠義務や兵役義務の衝突を論じること自体、無意味であるというだけでなく、憲法の基本原則に反する議論である。
エ 重国籍者であっても、他方国籍国が当該本人に兵役義務を課している場合にこれが当然に免除されるわけではないが、当該本人が日本に居住している場合、兵役義務を課すために他方国籍国が当該本人を強制的に連れ去ることは日本の対人主権及び領土主権に対する侵害であり許されない。他方、本人が他方国籍国に居住していたり、あるいは本人の意思で兵役に就くべく日本から他方国籍国に帰国した場合に、他方国籍国が当該本人に兵役を課することは何ら問題なく、当該本人が日本国籍をも有することを理由に、日本政府がこれを阻害することはできない。このように、兵役義務に関して日本と他方国籍国間で紛争が生じることは考えられない。
 なお、この国籍国による兵役義務の問題は、重国籍者だけでなく、日本に定住する外国人にも等しく発生する問題であるが、定住外国人に対する本国からの兵役義務が当該外国人と日本政府、あるいは当該外国政府と日本政府との間で重大な法律問題あるいは外交問題に至ったという例は聞かない。このようなことからも、重国籍者に対する兵役義務が日本と他方国籍国との間の衝突を生じるとの原判決の判示は観念論に過ぎない。
オ 重国籍者の所属国に対する納税義務の衝突とは、より具体的には二重課税の問題を指すと解されるが、これは本来、条約など国家間の合意によって解決されるべきものであり、かつ解決可能な技術的な問題である。二重課税の危険を回避するために国籍を失わせる、という議論は本末転倒であり、国際社会において到底通用する考えではない。
カ 以上の通り、「重国籍によって生じる義務の衝突や抵触」という原判決の指摘は抽象的・感覚的なものであり、政府委員が国会において答弁したとおり、これまで現実的・具体的な問題を発生させたことはない。また、将来において何らかの義務の衝突や抵触が生じるおそれが皆無ではないとしても、これまでの(特段重大な問題が発生していないという)実績を考えるならば、まずは既存の法律や問題ごとの国家間の調整によって解決することを検討するべきである。今まで重国籍によって重大な義務の衝突や抵触が生じておらず、将来もそのような事態が発生するか分からないのに、国籍という重要な法的地位を「念のため予め喪失させておく」という考え方に合理性があるとは到底言い難い。

 (3) 弊害論の第二について
ア 原判決は、「複数の国籍を持つ者については、複数の国家がその者に対して重複して対人主権を持つことになることから、国家間の外交保護権の衝突によって国際的摩擦が生ずるおそれも生じる」(原判決8頁)と判示する。
イ しかし、まず、第三国との間では、重国籍者の一方国籍国からなされた外交保護権の主張に対し、第三国が他方国籍を援用してその請求を争うことができないことは、今日確立したルールとなっている(甲46、25~26頁)。また、重国籍者の国籍国間での外交保護権の行使については、「相互に外交保護権を行使し得ない」という平等原則ルールから、「実効的国籍原則によって決定される」という実効的関連説に移行しているとされる(甲46、26~35頁)。このように、外交保護権の行使の可否は国際法上解決されるべき問題であり、また、まさにかかる問題を取り扱うべく存在する国際司法裁判所において、幾多の判例が示され、問題解決のルールが提示されている。
 したがって、重国籍者に関して国家間の外交保護権が衝突する可能性があることをもって、重国籍を防止し解消する根拠とはならない。

 (4) 弊害論の第三について
ア 原判決は、「重国籍者は、国家間での特別の連携制度がない限り、国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されることも可能であり、個人の同一性の判断が困難となり、複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害されたり、別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなるなど様々な深刻な事態を生じさせかねない」(原判決8~9頁)と判示する。
イ 少なくとも日本においては、原判決が言及するような「国家間での特別の連携制度」は存在せず、重国籍者が他方国籍国と異なる名を戸籍に記載することが、既に法律上何らの制限なく認められている。しかも、言語の違いにより、戸籍の記載から個人の同一性の判断は容易ではない。
 簡単な例を挙げれば、控訴人マークの父の小林実は、父小林誠と母ゴルドンシリオ、マジョリーの婚姻及び父の認知により準正子となり、平成20年改正前法3条1項により日本国籍を取得した(甲22号証)が、その日本名から、同人のフィリピン名であるMark Anthony Goldoncillio Kobayashi(甲7)を判別することは不可能である。戸籍にはそのフィリピン名が「ゴルドンシリオ、マークアントニー」と記載されている(甲22)が、この日本語表記のフィリピン名から上記のアルファベット記載を正確に表記することは容易でないし、いちいち除籍謄本に戻って確認することも困難である。
 したがって、「重国籍者は、…国籍を有する複数の国において別個の氏名により国民として登録されること」は、少なくとも日本においては、可能性の問題ではなく、現実に発生している事態である。そしてそのような状態にある重国籍者は、平成14年時点で単純計算して約40万人もおり、その後今日に至るまで確実に増加している。
 しかしながら、被控訴人国は、重国籍者について戸籍上の記載と他方国籍国における登録内容との同一性を確認できないという現状を認識しているにもかかわらず、これを解決するための対策を何ら採っておらず、かかる事態を事実上容認している。そして戸籍実務も、このような取扱いを当然のものとして日常的に業務を行っているのである。
ウ また、「複数の旅券を行使することが可能になって適正な入国管理が阻害され」る、との点については、そもそも日本国籍を有する重国籍者は日本国民であり、日本の出入国は自由であるから、重国籍者について入国管理をする必要性自体が存在しない。また、実務上も、上記の理由から日本旅券を所持して出入国する者についてその者が重国籍者であるか否か等をチェックしていないのであり、「適正な入国管理の阻害」との弊害論は全くの事実誤認である。なお、複数の外国籍を有する重国籍者について適正な在留管理の阻害を懸念することには意味があると思われるが、かかる重国籍の解消は日本の国籍法の問題ではないから、ここで論じる実益はない。
エ さらに、「別人として婚姻をすることによる重婚を防止することができなくなる」との点については、今日既に発生している重婚事案の一定数は、外国で婚姻後、日本に報告的届出をせず、戸籍に外国での婚姻が記載されていない状態を利用して再度婚姻をする(日本人の重婚の場合)、あるいは独身証明書を偽造して婚姻する(外国人の重婚の場合)、というものである。これらは、国家間の婚姻に関する報告制度の不備に起因するものであって、重国籍とは何ら関係がなく、仮に重国籍を完全に防止できたとしても上記の方法による重婚は防止できない。したがって、重国籍の防止と重婚の防止との間には因果関係はない。
オ 以上の通り、少なくとも被控訴人国は、原判決が指摘する上記の弊害を「深刻な事態」であると懸念し、これを抜本的に解決するための対策を講じているという事実は存在しない。
 被控訴人国は、重国籍者が異なる氏名で登録され同一性の判断が困難となることを前提に、これにより生じるおそれのあるトラブルを個々の裁判や刑事処分によって解決することを想定しているのであり、重国籍そのものを防止・解消することによるトラブルの発生防止を予定してはいないのである。
 このように、原判決が重国籍による弊害として指摘する上記の点は、被控訴人国自身が重国籍を防止解消してまで回避すべき重大事態と認識していないのである。

 (5) 弊害論の第四について
ア 原判決は、「本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることから、例えば、一方の国で婚姻が成立しているが他方の国では成立していないいわゆる跛行婚が生ずるなどによる混乱が生ずるおそれがある」(原判決9頁)と判示する。
イ しかしながら、ある国で成立した法律関係が別の国では否定される、といった事態は重国籍者にのみ発生するものではなく、国際結婚をはじめとして国境を越えた権利義務関係の形成に必然的に伴う問題である。かかる問題の解決のために「法の適用に関する通則法」が設けられ、国際私法と呼ばれる法分野が発達し、さらに裁判所において国境を越えた法律関係における紛争に関する判断が下され、それが国際私法のルールを形成していくのである。
ウ したがって、本国法として適用される法律が適用する国により異なることがあり得ることによる混乱が生じるおそれがあることが、重国籍を防止解消すべき理由とはならない。

(6) 小結
 以上より、原判決がいう弊害論は、法12条によって日本国籍を喪失させてまで回避すべき重大かつ深刻な問題ではない。繰り返し指摘するように、原判決がいう弊害論が日本政府にとって重大な問題ではないことは、被控訴人国がこれらの弊害論に対して特別の対策を何ら講じていないという事実から極めて明白である。

7 結論
 以上の通りであるから、「重国籍の発生をできる限り防止・解消する」という立法目的は、本来であれば法2条1号2号により取得する日本国籍を法12条により消滅させることの合理性を根拠付けるものとは成り得ない。


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